パスカルは人間は考える葦である、と言いました。
詳しくはこう言っています。
人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。
蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。
だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。
なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。
宇宙は何も知らない。
自然は不条理なものです。
いつ鬼のように襲いかかってきて、死んでしまうかわかりません。
そんな中で、考えてこそ人間という意味ですが、何を考えるのでしょうか。
それは、必ず死ぬのになんのために生きるのか
ということです。
なぜ生きるかを考えなくても、生きることはできます。
しかしもしなんのために生きるのか考えないのであれば、
あくまで、生物として生きているのであって、
考える葦としては生きていないのです。
細胞が集まって、
人間の形をしているだけです。
人間は万物の霊長と言われます。
なぜ、霊長と言われるのでしょうか。
それは人間だけが、自分の生きる意味を考える事ができるからです。
生きる意味を考える事は人間だけが持つすばらしい特権です。
その特権を放棄してただ、食べて寝て一生を送って、
どうして人間に生まれた意味があるでしょうか。
逆に生きる目的を持ち、達成したときには
我、生きるしるしここにあり、
人間によくぞ生まれたものよ、と凱歌を挙げることができます。
生きる目的を達成してこそ、
私は人間にしかできない、生き方ができたのだ、
人間に生まれて本当に良かった、と満足する事ができます。
だから、人間らしい人間とは、生きる意味を真面目に考える人です。
頭の善し悪しなんかでは、人の価値は決まりません。
もし記憶力のよさで価値が決まるのならば、
コンピュウーターは人間より偉い事になります。
生きる目的を真面目に見つめ、達成すれば、人間として生きた、
価値ある人生となります。
そこでこれは、人類始まって以来の壮大なテーマなのです。
昔から、心ある人ならば、誰でも考えずにおれない事なのは当然です。
そして、人類はこの答えを見つけてきたのです。