「どう生きるとなぜ生きるの関係」は誤解が多いです。
阿弥陀如来の本願でいえば、
なぜ生きるが18願
どう生きるが19願にあたります。
なぜ生きるという生きる目的がなくては、
どう生きるという生きる手段、生き方は意味をなさなくなってしまいます。
『なぜ生きる』がなくてはならない、大前提です。
目的が分かったら、そこに向かっていくために、
『どう生きる』が大事になります。
真実と方便の関係です。
18願と19、20願の関係です。
どっちも大事です。
18願が大事だから19、20願が絶対に大事。
要門です。
どう生きるを疎かにするのは、仏教の教えを曲げることになります。
どっちかだけでいい
「お金ありませんから仏教講座に行けません」
とか当たり前です。
そういう非常識によって、信頼関係を失ってご縁を失う。
本当に残念です。
子供はいれば、親は面倒を見ざるを得ない。
それが自利利他です。
よく分からない時に、じいちゃん、ばあちゃんがいます。
親は子育てにこまったら、経験しているじいちゃんばあちゃん、
近所の友達に聞けばいいのです。
それが、自分の判断で子供を殺してしまいます。
初期からずっと言えることで、不安を与えないことです。
掃除もします。
本当はどうあるべきか、正常な感覚を磨きましょう。
それを仏教が初めての人に示すのが大事です。