仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

死後は無になる?不変の魂が続く?

仏教は後生を否定する「断見外道」でも、
後生変わらぬ魂が存在するという「常見外道」でもありません。

因果応報なるが故に来世なきに非ず、
無我なるが故に常有に非ず。
(阿含経)

こう教えておられますが、仏教は後生を否定する断見外道でもない。
仏教は後生を否定する断見外道、断見外道を否定されたお言葉が、
「因果の道理が間違いないから、来世はあるのだ」

常見外道を破られたお言葉が
「無我なるが故に常有あらず」
です。

これ聞くと、じゃあ死んだ後はあると思いますが、
もちろん死後の世界はありますが、
あなたの考えているような世界ではないんです。

私たちは死後はある、極楽はある、
阿弥陀如来は在すと、もちろん無の見より
は有の見の方が良いんですけど。

仏法を聞かされるとやっぱり地獄があるのかな、
極楽もあるのかな、
阿弥陀如来もおられるのかなと思いますが、
あなたの思っている地獄極楽阿弥陀如来は、
本当の地獄極楽阿弥陀如来ではない。

常見外道です、あなたが思っているような
地獄極楽阿弥陀如来 ではない。
固定不変なものが存在する。
アートマン
固定不変なものはこの世には
何一つ存在しない。

一切のものは無我です。
固定不変なものは何一つありません。
諸法無我なるがゆえに。
常有に非ず。
固定不変なものは何一つないのだ。
生滅を繰り返しながら、続いていくのが阿頼耶識です。
だから点々であらわす。

しかし私たちは線でしか見えない。
暴流の如し、ダーッと流れる激しい滝、暴流。
物凄い勢いでダーッと流れています。
しかし私たちは錯覚を起こします。
どうしても常見外道、有の見でしか見れません。

固定不変のものがあるとしか思えない。
末那識が見てしまうんですね。
でも真実は生滅を繰り返しながら、物凄い勢いで流れている、
これが本当の私の実態です。

一切のものは無我ですから、
固定不変なものがあるという考え方も間違いですよ。
信心決定ということは有の見、無の見が悉くぶち破られた世界です。