「求道」という言葉がありますが、
世の中で「道」とつくものは完成なんてありません。
「剣道」「柔道」「華道」「茶道」「弓道」他にもいろいろあります。
「パチンコ道」とか。
日本人って何かと「道」をつけたがります。
「お茶」もただ飲むだけです。
しかし日本にもってきたら「茶の道」になり、風情がでてきます。
いずれもいずれも「完成」「卒業」はありません。
宮本武蔵が『五輪の書』を書いていますが
「剣の道はまだまだ遠い」というのは有名です。
佐々木小次郎を倒して名実ともに日本一。
そんな武蔵が言っている。
「俺は剣を極めたぁ!」
と言ってる人見たら、ヘッポコと思いませんか?
おそらく「剣の道はまだまだ遠い」の言葉が、
武蔵を「剣聖」と呼ばせるんだと思います。
「極めた〜!」とか言ってたら、
たぶんこうは言われないですよね。
求道はいつまで求め続ければいいのでしょうか。
世の中の道はすべて死ぬまで求道です。
しかし、それは死ぬまで満足できないということです。
つまり、死ぬまで不満です。
ところが、仏教には、満足したという完成があります。