本日は、宗教偏見のある人のよくある批判について考えてみましょう。
偏見バリバリの人もいますが、だいたい平均的なパターンの批判はこれです。
「なんでお前は仏教の話ばかり真剣に聞いているのか?
宗教をやっていると、考え方が狭くなる。
視野が狭くなるのではないか!!」
非常にこの方向から批判はよくあります。
確かに宗教全般にはいえるのかもしれませんが、こと仏教に関してこの批判が向けられるとすれば、仏教に何が教えられているかあまりよく知らない、視野の狭い人がよく言ってくる事です。
私達としてはどう心得ておくべきでしょうか?
いろんな答えがあると思いますが、精一杯視野を広げるといいましても視野を知る目的を知らないといけないという答え方もできます。
色々な情報を集めるのは、視野を広げる為とも言えます。
見聞を広めると言ったり、知識を豊かに豊富にするとも言えます。
勉強したり、色々な活動でいろんな経験をして見分を広めたりします。
しかし見聞をせっかく広めたところでその見聞を何に使うのかということが大事なんじゃないですか?
その見聞や視野を何に使うのか?
究極的にいえば、本当の生きる目的、生きる意味を知らなければ、見聞を広め、視野を広げる意味はなくなるでしょう。
仏教には本当の生きる意味が教えられていますので、視野を広げることが意味を持つには、仏教の教えを知る必要があります。