野球部に入ると、
甲子園に出たら、
プロ野球選手になったら、
レギュラーになったら、幸せだと思います。
ブロ野球選手になれるような人は、ヒットを打てたら、首位打者になったら、大リーグへ行ったら、幸せだと思うでしょう。
イチローくらいになっても、何々したら、きっと幸せって今まで追い求めつづけ、今も求めています。生きる意味は分からないと言っています。
ひょっとして、これは死ぬまで続くのでしょうか。
死ぬまで求め続けるとしたら、悲劇です。
なぜなら、求めるということは求まったということのためであって、求めるために求めているのではないのですから。
絶対に当たらない宝くじを買う人はいないですよね。
絶対に入れないとわかっている女子大を受験しようとする男性もいません。
100%手に入らないとわかっているものを求めることは意味がありません。
「きっと幸せ」はまだ幸せでない状態です。
『君たちはどう生きるか』という本がベストセラーになりましたが、どう生きたところで、死ぬまできっと幸せになれると思って求めるのは、死ぬまで、結局幸せでないということでないでしょうか。
ただ、きっと幸せと信じて、同じところをぐるぐる回っているような状態です。
ですから、なんのために生きるのかという本当の生きる目的は、完成があるものでなければならないのです。
それを完成してこそ、生きる意味があるのです。