孫悟空がブッダに挑戦した話があります。
孫悟空がブッダと力比べです。
孫悟空が山の峰を見つけてそこに自分の名前を書いたと思ったら、
ブッダの手の指だったというものです。
孫悟空というのは最初の頃の私たちのことです。
最初は、仏教を聞いても、自分の考えのほうがいいのではないかと思っています。
ところが、聞いて行くうちに、ブッダの教えというものは、
だんだんととても人智で計れないものと知らされます。
最初は分かりません。
深く知らされれば知らされるほど、
私は何でダイヤモンドを最初から拾ってしまったのだろう
という気持ちになります。
それは時間の問題だと思います。
もし、こういう人に言うなら、
「私の話を聞いてくれ、そして自分で確かめてくれ」
こう言えばいいのです。
「生きる意味は人それぞれではないか」聞き始めの頃と同じ質問をしてきます。
「自分の最初の頃と同じだな」
と思います。
金太郎飴のようなものです。
黒人や白人を相手に話をすると、最初は
「どんな事を言ってくるだろうか」
とどきどきしながら話します。
ところが言ってくることは私たちと一緒です。
生きる意味の話をすれば世の中の人の反応は一緒だなと知らされます。
しかし、自分で考えることは大事です。
そうすると真剣に聞法するようになります。
これは自分のこととして知らされることです。