仏教を聞いて1年もたてば、簡単な5分間くらいの仏教の話ができるといいですね。
2年も経てば、1時間くらい話せるように。
3年も経てば、講座ができるようになるといいです。
そして相手に宗教偏見があって仏教の言葉が出せない時の法施は、
まず相手がわかるのが大前提です。
相手が実感が湧くと、自分の問題となります。
自分の問題にならなければ、知識欲を満たすだけで終わります。
例えばなぜ生きるかどう生きるかより大切と言われても分からない。
なぜ大学に行ったのか、なぜ就職するのか、
働く意味は何か。
どうしてそのお金を稼いで生きていくのか。
必ず死んでいくのになんのために生きるのか。
『君たちはどう生きるか』じゃ普通分からない。
それを言うなら、どうしたら受験勉強ができるのか、
どうやったら就職、お金、人気が取れるか、いい人と結婚 できるか。
より楽しく生きていけるかということだから、
それがどう生きるかということです。
相手が自分の問題となる言葉で、短さとか身近な話題、
仏教が初めての人の立場で目線で話すとか、
確かに自分にも経験があるとか、言われてみればそのとおり、とか。
こういうような、言われてみればそのとおりですね、とか、
似たような経験ありますとか思われるようなことを例にあげるといいです。
このような仏教の内容を分かるようにみんなから語ってもらうといいです。