浄土真宗を開かれた親鸞聖人34歳のときに3人のお友達とケンカをされたことがありました。
これを信心同異の諍論といいます。
親鸞聖人が、先生の法然上人と信心は同じだというと、
勢観房・念仏房・聖信房が、そんなはずはない、
自惚れるのもいい加減にしろと言った所から始まります。
勢観房・念仏房・聖信房、いずれも法然上人のお弟子でありました。
この3人は最後法然上人の御裁断があるまで、
どうしても信心が同じになるだなんて思えなかった。
自分の考えが間違っているとは、ユメ思えなかった。
親鸞聖人が真仮廃立を実地になされた争いです。
真と仮を正信偈に説かれただけでなく、争いをされておられる。
真仮廃立とは、同じ阿弥陀如来 に向かっていても、
それに真と仮があり、仮を捨てなさいという教えです。
仮とはどういうことかといいますと、
阿弥陀如来 を私達の心で信じている人達です。
信心と聞くと、考えたこともない人多いです。
しかしいずれにしても、信心というのは
とても同じになれるものではありません。
「仏一音をもって説法を演説し給うに衆生類に従って解を異にす」
一人一人の智慧や学問で理解しますので、
話をされる方は一つのことしか言われていないんですが、
違った解釈をする。
ですので、同じ話を聞いても、同じ本を読んでも、
一人一人感想を書くと、同じものは一つもありません。
違って当たり前です。
ところが親鸞聖人が、信心が同じになるといったのは他力の信心の場合なのです。