仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

いろは歌に教えられた変わらない幸せ

私たちは幸せを求めて生きているがいつかは失ってしまいます。
このことはゲーテという人は

幸福というものが同時に不幸の源になっている。
これも定めなのだろうか。

と言っています。

幸福を手に入れるとセットで不幸も手に入れている。
幸せを求めているのに、最後失って苦しむ結末なら
苦しむために生きてきたということになる。

なんのために生きるのか?と質問して
苦しむためだよ。

それをきいてよっしゃ頑張ろうという気にはならないでしょう。
死んだほうがマシとなる。

では崩れない、本当の幸せはあるのか?
プラトン
変わらない幸せは万人に共通した目的である
といっています。

思えば、津波で家を流された人が次に家をたてるのはどこか?
津波におそわれる恐れのない、高台に立てる。
あんな辛い思いはもう二度としたくないと思うから。
私達の本心を叩いてみれば変わらない幸せをすべての人は
みんな求めている。
こうプラトンはいっています。

ここで問題になるのは、そんな変わらない幸せはあるんだろうか。
ということです。
この問いかけに対して答えているのがいろは歌です。
一言でいうとここで、そういう変わらない幸せがあるんですよと
書かれています。

有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔いもせず

「有為」とは苦しみのこと
「奥山」とは山が幾重にも連なっている様子
失って求め、求めては失ってを繰り返す人生を有為の奥山とたとえています。

そんな人生を、今日越えてと書かれています。
いつかは失ってしまう幸せばかりの中で、変わらない崩れない幸せにいまなったぞということです。

病気になっても会社が倒産しても変わらない幸せがあるのか?
というと夢でもみているのかと思ったり、何かに酔っているのではないかと思ったり、おかしな宗教にはまったのではとおもうが、
いろは歌 では、「いやいや、浅い夢をみているのでも、酔っているのでもない。
 今ハッキリと、変わらない幸せになったということがあるんですよ」と歌われています。
 芥川龍之介が驚いたというのは、変わらない幸せがある、そういうものがあってこそ、とおもったからでしょう。
これを歎異抄には、無碍の一道とも言われています。

これは仏教に教えられていることなのです。