五木寛之という作家があります。
以前も親鸞という新聞小説を書いていました。
仏教の中でも親鸞聖人や蓮如上人に関心を持っている人です。
あの人の文章はプロだからうまいですね。
内容も考えているなというところあります。
五木寛之の本の中にこういうこと書いてありました。
人間があと4ヶ月の命、実際そういう人があったんでしょう。
こういうふうになった人が今から金儲けするだろうか。
使うことがあっても貯めようとはしないだろう。
名誉を得ようとおもって努力もしないだろう。
あと4ヶ月となって金や財産や名誉は価値をもたないだろう。
私も思わない。
ところがじゃあみんなはどうかというと金がほしい。
名誉がほしい。
ということは自分は絶対死なないと思っているからだ。
当たり前のことだが良い文章で書かれると納得せざるをえない。
なかなかいいこと書いているなと思う。
あと4ヶ月の命なったらね、仕事や資格試験の勉強をしますか?
あと4ヶ月ということは、7月11日だから11月11日まで。
大学生ならもうすぐ7月末に前期の試験があります。
この試験はがんばらなければならないと思いますか?
その間に試験あるといわれても試験勉強やろうとは思いません。
先がないことはっきりしておって将来の仕事や資格のための勉強はしない。
お金つかいまくろうと思っても使わないように貯めようとは思いません。
人は死ぬということを全く念頭においていないことがわかります。
これがこの話の結論です。
だから人生を間違うのです。
自分は絶対死なないという人生観は全く無意味だと五木さんは本に書いています。
これは西洋でいえば、メメント・モリ。
仏教でいえば無常観です。
諸行無常、いつ死ぬかわからないんですよ。
なのに目先の幸せを求めて走り回って追っていいんですか?
こういうことしているから臨終に後悔するんだ。
これはスピリチュアルペインといってほとんどの人がする後悔です。
無常観は小説家の本にもあるし、それをみつめたハイデガーのような哲学もあります。
人間とはと見つめてはいるが、西洋哲学に決定的に欠落しているのが罪悪観です。
やがて死なねばならんのが私といっても、自分は悪ばかりだと気づくものがいない。
人間の考えた哲学にまったく欠落しているのが罪悪観なのです。