仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

量子力学でも人生は夢のようなもの

『死後の世界を突き止めた量子力学』という本があります。

昔、科学 といえば死後を否定するものと思われていましたが
最近ではこんな本も出ています。
この本の中でもこんな表記がありました。
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観察するという意識と行為がなければ
この世は存在しないと考えることを余儀なくされるからである。
科学者がいて観察しているという行為が
客観的に観察しているのでなく
想念によって生み出しているといえる。
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ニュートン力学からいうとここに物質があります。
これはもう間違いないということです。

それに対して今朝を見たとします。
夢だったのか、夢でよかったと思います。
夢は幻想やと思います。
夢さめたとき夢の中で登場した人物やものは実存しないものと
しておそらく自分の心が夢の中で生み出したもので夢さめれば存在しない。
だけどこのホワイトボードはある、マーカーはあります。
これを夢の中のものとはぜんぜん違います。
こう思ってきました。

皆さん、今でも思うでしょう?

ところが量子論的にいいますと物質の最小単位はクォークですが
クォークは定まった場所にあるようでありないようであり、
質量をもったようでもあり質量もたないようでもあり、波動のようでもあり・・・・
つまり実体がありません。
実体がないものから我々ができているとすれば一体どうなのでしょうか?

これはといいます。

たとえば夢の中で登場人物がいます。
夢の中では確かに「いる」のです。

夢から覚めても覚えている映像もあります。
夢の中で出てきた誰々くんとここで振り向いて
みた誰々くんは一緒ではありませんか?
いつもの服きて、いつもの顔して、いつものかばんかけてきました。

夢の中でも先輩のイメージと起きてあっているイメージは一緒です。
どちらも同じです。
昨日先輩にあったイメージと一年前夢の中であったイメージとどこか違いがありますか?
記憶として両方残っているのだから違いはないというのが量子論

こうくると、わからんようになってくるでしょう。
ところが現代物理学の最先端では実はこういうレベルなのです。

夢の中で見たり、出会ったりする人やものと、昨日見たりであったりした人とは区別がつかないものです。
大体夢醒めたこの世界、これは現実だ!とおもっているでしょう。
ひょっとしたらこれも、夢かもしれませんよ。
その可能性否定できる人いないでしょう。

ところがそういうことはすでに仏教では教えられていることなのです。

さらに、その上で儚い夢のように消えて行く人生で、生きる意味は何なのかが明らかにされています。