仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

いろは歌には人生で最も重要なことが明かされている

いろは歌には人生で最も重要なことが教えられていると芥川龍之介が言っています。

われわれの生活に欠くべからざる思想はあるいはいろは歌に尽きているかもしれない

芥川龍之介 侏儒の言葉
どんな歌かというとこういう歌です。

色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔いもせず

前半は、諸行無常が説かれています。

諸行無常のうちでも特に問題なのは、2行目にあるように、どんな人も死を免れることはできないことです。しかもいつ死ぬか分かりません。

若くして交通事故や病気、自殺などで死んでいく人もたくさんあります。

たとえ若くして死ななくても100歳まで生きてもお経の中にはこうあります。

真実を知らずに100年生きるよりも
真実を知って1日生きるほうがはるかに尊い

ここでいわれる真実とは後半の
「有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔いもせず」
に明かされている真実絶対の幸せのことです。

人間に生まれてきた目的をしって1日生きるほうが知らずに100年生きるより
素晴らしい。
100年生きても臨終に後悔していたらその100年パーになってしまいます。
人間に生まれてよかった、このために生まれてきたという目的を果たしてその後
一日生きるのと、100年生きて金も財も手に入れて自分の人生無駄だったと
後悔するのとどちらがよいでしょうか。
そういう人を沢山みてきたキューブラー・ロス後悔して死んで行きました。

100年生きても生きる意味がわからねば生まれてすぐ死ぬのと同じだという大変重いことです。
それがいろは歌の前半にいわれています。
無常なこの世の中、変わらないものがあるかというとありませんよ。
だから有為の奥山になるのです。

有為の奥山とは苦しみ悩みの人生ということです。
それが今日その苦しみ悩みを超えた、今日解決できたという世界があります。
それが「有為の奥山今日越えて」です。

今日こえられるかもしれないということではありません。
浅き夢みじ酔いもせず
といわれているように、浅い夢をみているような何かによっているようなぼやっとしたものでないということです。
はっきりとした本当の幸せになれます。
それが人間に生まれてきた目的なんだ。
その身になることが本当の生きる意味です。
そんな幸せがあるんですよと仏教に教えられています。