悪人正機は、悪人が救われるということです。
これは、悪人と善人があって、そのうちの悪人が救われるということではありません。
すべての人は恐ろしい悪を作っている悪人だと見抜かれて、そういうものを助けようと立ち上がられたが阿弥陀如来です。
つまり、すべての人が本当の幸せになれる、ということです。
阿弥陀如来の本願の最初はこのように始まります。
これは、「どんな人も必ず助ける絶対の幸福に」ということです。
すべての人は悪人だから、悪人こそ救われるのです。
ブッダは一切経に、科学者も驚くようなことが説かれています。
悪を造っていたら、因果応報で、死ねば苦しい運命を受けなければなりません。
これを後生の一大事といいます。
世の中には、後生を一大事を知らずに自殺をする人もいます。
その後生の一大事の解決のために、親鸞聖人も比叡山で煩悩を無くそうと修行をされています。
その論理的に説かれるブッダが、大無量寿経で説かれているのが阿弥陀仏の本願です。 大無量寿経には、阿弥陀如来のことが説かれています。
この大無量寿経に説かれているのをおとぎ話のように思ったり、批難したりする人もあります。
それまでのお経は、煩悩を無くせという教えは、分かりやすいといえば分かりやすい。できないことを知らせるための方便にお釈迦様が教えられている方便の教えです。
因果応報の因果の道理に従って誰でも分かりやすいのです。
ところが真実は絶対の世界だから分かりません。
キルケゴールは、実存の三段階を考えました。
キリスト教について、真の心がないから、信じられない、キリスト教はどこにもないと言っています。
ところが、真実の心を与えて救うというのが、阿弥陀仏の本願です。
キルケゴールがこれを知ったらどれほど、驚いたことか分かりません。