仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

相対の幸福と絶対の幸福の違い

絶対の幸福とは、どんな幸せでしょうか。
それに対して、相対の幸福というのがあります。

亀井勝一郎は、快楽を、幸福という意味で使っています。

そして生きる意味は幸福だと言っています。

具体的には例えば、趣味をやれば幸せになれると思っています。
小説を書く、ダンス、などです。
これらは趣味、生きがいといわれます。

家族という幸せなど、思い浮かべるのはこういうものです。
いろいろな楽しみを知っているが、深い何かを知らない不安がないか。
何のために家族を大事にしお金を儲けリラックスし、生きているのはなぜか。

しかし、快楽に悲哀はつきものです。

永遠に幸せになれません。
たとえしばらく続いても死を目の前にしたら崩れます。
幸せが苦しみ悲しみに変わります。
1000円入の財布、お年玉に10万入っている。
10万の方が大きい幸せ。
しかし、失った時は10万の方が苦しくなります。

続かないことを無常といいます。
お金も仮想通貨など、何百億円盗まれました。
現金もまた、怖い。
株も怖い。

家、火事なら保険、地震なら、保険に入っていない人が多くあります。
20年前の阪神大震災
ローンで家を建てた家。
ローン10万というのは家賃10万みたいなものです。
建てるのが幸せか、借りるのが幸せか。

私達が知っている幸せは続きません。
続いても死にます。
だとすれば、幸せは苦しみに変わるなら、悲しみの種を作っているに過ぎないのではないかと思います。
これは悲劇です。
必ず崩れる幸せ求めて生きているのは悲劇に他なりません。
必ず墜落する飛行機に乗るでしょうか?
墜落するけど100円の飛行機乗るか?

それなら乗りません。
しかし、人間は必ず死にます。

墜落する飛行機に乗っているのと同じです。
それが私達が求めている幸せかというと違います。

亀井勝一郎が、快楽と死は切り離せない、双生児であると言っています。

死を越える快楽があれば……
古来の哲学はすべてここに行き着きます。
死が来ても崩れも壊れない幸せがあったらいいなあと思います。

絶対の幸福とは、死が来ても崩れない幸せです。
哲学者が求めてきたのはこのことです。

絶対の幸福に対して、相対的な幸せといいます。

お金ならいくらもっているか?
1000万、しかし、友達が5000万持っていたら、喜べません。
友達は100万となると喜べます。

一番の欠点は続かない。最後は死によって崩れます。
生きる意味ではありません。

死によっても崩れない幸せを、例えばキルケゴールのような哲学者も求めてきたのです。

しかし、結局西洋にはなく、仏教にありました。


本当の生きる目的がわかるビデオ(人生は意味なく生きて死ぬだけ?)