仏教では蓮の花がよく使われます。
極楽には蓮の花が咲いています。
蓮台というのは蓮の台です。
それはなぜかというと、真実の信心には蓮の花のような特徴があるからです。
正しい信心ということで『正信偈』にも教えられています。
信心というと神や仏を信じることだと思いますが、それだけではありません。
私たちは、何かを信じないと生きていけないので、色々なものを信じ、心の支えにして生きています。
たとえば、お金を心の支えにしている人もあります。
親友を心の支えや生きがいにしている人もあります。
仕事や趣味を生きる希望にしている人もあります。
誰しも明日も生きていられると命を信じて生きています。
ところが、信じていたものに裏切られたときに苦しみます。
例えば結婚詐欺にあうと苦しみます。
たくさんのお金をえても病気で喜べなくなります。
これらの信心は、そんな無常の裏切る信心です。
続かない、儚い信心だということです。
ところが、真実の信心は、絶対裏切らない信心です。
その蓮の花にたとえられる1番目の特徴は、「淤泥不染(おでいふぜん)の徳」です。
汚泥というのは、悪人のことです。
歎異抄(たんいしょう)では第3章に教えられる悪人正機です。
真実の信心の花は、悪人の心に咲くのです。
しかし、善人と悪人がいて、善人には咲かなくて悪人に咲くということではありません。
ブッダは、すべての人の心のすがたを
「心は常に悪を念う」(大無量寿経)と教えられています。
すべての人は悪人だ、といわれているのです。
ですから、悪人だと知らされた人が悪人なのです。
知らされた人が救われます。
すべての人が悪人ですから、すべての人が本当の幸せになれるということです。