心の闇一つ説明するだけでも凄い時間かかります。
ある子供が、重い病気で死にそうになって、
「ボク死んだらどこ行くの?」と聞き始めました。
この子は14歳で、今まで、仏教聞いたことがありませんでした。
聞いたことなくても、死ぬときなったら、必ず出てきます。
これは、大学の医学部教科書にはスピリチュアルペインとして出ています。
死んだらどうなる?という疑問は、人間、臨終に必ず問題になるのです。
自分はまだまだ死なん、という心は、全人類の本心ですが。
死なないという前提だから、死が問題にならないし、
まして死んだらどうなるなど問題にならなりません。
大学の医学部資料には、余命3か月になった人の体験談が出ています。
死んだら無になることを証明することはできません。
科学的に言って死後はないでしょ、と言う人もいますが、
科学では、死後の世界は分かりません。
量子力学ではじゃっかん死後はありそうです。
死後の世界をつきとめた量子力学には、ありそうだということになります。
ないことを証明したものはありません。
いずれにせよ、あるともないともハッキリしていません。
大学合格、しているのか、していないのか、はっきりしないと不安になります。
人間みな、未来がハッキリしないと不安になるからです。
死の問題を解決して、心から明るい生き方にするのが仏教の目的です。