ノンフィクション作家の桐島洋子さんは、こう書いています。
「私は恐ろしさと寂しさに胸を衝かれる。
これは悪夢ではない。あらゆる場所で着々と信仰し、百年以内に必ず100パーセント現実になる冷厳なスケジュールなのだ。
百人百様の人生のそれぞれに、確実に保証される唯一のものが死の訪れである。
生きるということは死をゴールにしたマラソンにほかならないのだ。
しかしこの最も確実なものが、また最も確かめ難い謎にとざされた不気味な暗闇であるということは、なんという皮肉だろうか。
多くの人はゴールの向こうになにがあるのかわからぬままに、ともかくひたすらに走り続けなければならない」
100年後、これらの人たちはみんな死んでいる。
この人は、この後、どういう人生をたどったのか。
死んだらどうなるか、分からない。
霧島さんは世界中の宗教を探しています。
ビートルズのジョージ・ハリソは、インドの宗教家にはまりました。
霧島さんもそこにはまりました。
死んだらどうなるか分からない心の闇は、親鸞聖人の教えに、破れると教えられています。
心の闇が破れて、明るくなったということを言って死んだ有名な人がいます。
東条英機。A旧戦犯7人の1人で、巣鴨の刑務所に入れられました。
死刑囚には本人の希望で教誨師がつきます。
6人は浄土真宗で、1人はキリスト教でした。
神の国と言われていた日本が、負けた。
死刑囚は、お金も財産もあったのですが、死ぬのが目前です。
私達がほしいと思っている相対的幸福はもっていました。
それが毛布一枚で、刑務所に打ち込まれた。
心の闇が、問題と知らされた。
死刑囚で死んだら死んだ時という人はいない。
冤罪で放免になった人が書いた死刑囚の実態に手記が記されています。
東条さんは、親鸞聖人の教えを聞いて、死刑執行の前、生きている時に暗い心の闇が破られました。
昭和23年のことです。
20分おきに死ぬかどうか、確かめられていました。
7分前に、普通は冷静でない。
ピストル自殺で、怖くてできなかった東条さんは、怖くできなかった人が、生きてよし、死んでよしの身になったのです。