仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

メメント・モリ、四馬の譬喩

昔から西洋でも、メメント・モリといわれて、死を忘れるなといわれますが、ブッダが、無常に対する感度を四通りの馬にたとえて教えられた
四馬の譬喩というものがあります。

一匹目の馬は、鞭影を見て驚く馬です。
騎手が鞭をひゅっとふっただけで走り出す馬です。
この馬は駿馬です。

 

二匹目の馬は、鞭毛に触れて驚く馬です。
これは、騎手が鞭をさらっと馬の毛にふれただけで、驚いてヒヒーンと走り出す馬です。この馬も駿馬です。

 

三匹目の馬は、鞭肉にあたって驚く馬です。
これは、普通に鞭をあてられて走り出す馬で、普通の馬です。

 

四匹目は、鞭骨にこたえて驚く馬です。
これは鞭が肉にあたっても走り出さず、何も感じません。そのため、騎手は繰り返し打ちまくって、とうとう肉が破れて骨が見えたとき、骨にこたえてようやく驚く馬です。大変などばです。

これは何を教えられているのかというと私たちの無常に対する感度です。
無常というのは自分の死のことです。
鞭影を見て驚く馬というのは、桜の花びらが落ちたり、火葬場から煙がたちのぼっているのを見て、自分もやがてこのように死んで行くのかと驚く人です。無常に敏感な人です。

鞭毛に触れて驚く馬というのは、葬式の行列を見たり、セレモニーホールで葬儀が行われているのを見て、やがて自分も死んで行く時が来るのかと驚く馬です。
これも、敏感な人です。

鞭肉にあたって驚く馬というのは、親戚や友達が死んだと聞いて、自分もやがて死んで行かなければならないと驚く人です。また、目の前の交通事故などで人が死ぬのを見て、自分の死に驚く人です。

これは普通の感度です。

最後の鞭骨にこたえて驚く馬というのは、大切な家族が死んで、自分もやがてこのように死んで行くのかと驚く人です。これは鈍感な人です。

では、私たちは、このどれに入るのかというと、どれにも入らないとお釈迦さまは教えられています。

たとえ肉身が死んでも、それは自分が悲しいだけで、自分が死んで行くとは思えないのです。

だから、お釈迦さまは、繰り返し無常を説かれているのです。

無常を知らされることが、本当の幸せへの第一歩だからです。


「メメント・モリ」に込められた現代人へのアラート