仏教研究室

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実存主義哲学キルケゴールの実存の三段階

倫理の教科書によく、哲学について書かれています。
その中に、西洋哲学の終わりの方に実存主義があります。
実存主義の先駆けといわれるのがキルケゴールという哲学者です。

西洋哲学の最後は実存主義ですが、その最初がキルケゴールです。
同年代で ニーチェがいて、その後、ハイデガーが出てきます。
死んでから有名になった人です。

キルケゴールが言うには、そのために生き、そのために死ねるようなものが真理といいます。

三段階の実存を考えています。

まず最初が美的実存です。

これはやりたいことをやる、欲を満たす、ということです。
兼部をしたいという人もいます。
しかし、これらのものでは、幸せになれません。
大学合格して死ねるという人はいません。

108の煩悩の一番は欲です。
欲が妨げられて腹立てます。
怒りもない、そういう人はいません。

最後は絶望に陥ると思っています。
豊臣秀吉は、最初水呑み百姓でした。
他の人の田んぼを耕していました。
秀頼が後をついだ。
たくさんのお金がありました。そのお金を使わせようとしました。
工事をさせました。
杭打ちをします。
杭を打たされると、金持ちが潰れます。
公共事業をさせられました。
どれだけ、言われても。
拒否したらどうですか。
無理難題を押し付けても、大阪城の地下にあるお金は無くなることはありません。
世界一の金持になっても幸せになれませんでした。

そこで次に倫理的実存です。

倫理的実存というのは欲望をおさえて幸せになろうということです。

周りに良いことをしようとする。
それは生き方です。
善に勤めれば欲望は抑えられないということが分かります。
倫理的段階でも絶望します。

じゃあどうしたらいいのか。
欲望があるままで、純粋な心になれる世界しかありません。
欲望あるままで得られる真理の世界がなければなりません。

東洋哲学は、煩悩即菩提の世界を教えたものです。

煩悩を作ります。
悪がとなります。

キルケゴールが求めた、第三段階は彼には分かりませんでしたが、
仏教では煩悩即菩提です。
そのため、仏教は即の哲学、転の哲学といわれる。

東洋と哲学の違いです。

東洋では、あると言われています。
ないと幸せになれません。
日本の哲学者の西田幾多郎は絶対矛盾的自己同一の世界といっています。
相反する矛盾したものが私の中で一つになっているということです。


究極の幸せ「煩悩即菩提」とは?