キルケゴールと親鸞という本があります。
哲学が似ていると思っているのです。
デンマークの哲学者、思想家です。
今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されています。
キルケゴールは42歳で亡くなったのですね。
道端に倒れて死んだと言われていますが、
「死因は不明」と理解して良いのでしょうか。
状況からすると脳出血の可能性がありますね。
キルケゴールは、実存の三段階というのを考えました。
まず第一に、美的実存です。
これは欲望を満たして幸せになろうとするものです。
満たせば満たすほど、満たせないことがわかります。
これでは幸せになれないとキルケゴールは言っています。
秀吉ほどのことをやってでも、夢のまた夢と辞世に詠んでいます。
金山、銀山の埋蔵量は、ビル・ゲイツの10倍です。
それでも満たせません。
二番目が、倫理的段階です。
欲で苦しんでいる、あれほしいなあ、しかし、手に入りません。
欲ない人は、苦しまない。
ワゴンセールでいい。
欲を満たして幸せになるのが不可能なら、欲をなくすしかありません。
欲をなくす生き方は、倫理的な生き方です。
欲と戦う、悪いことを辞めて善いことをしようという生き方です。
欲を満たそうとすると、悪を造ります。
10年前の殺人事件の犯人。
血を見たいというとんでもない。
自分を傷つけ、他の商売をしたら、他の人を倒産させることになります。
墓場の前で、花屋さんをやっていた。
隣に、2倍の花屋ができました。
客を盗られで収入半減です。
花を買いたい人は、選択肢が増えていいが、こちらの人は苦しめます。
幸福という結果は、悪い。
1から2へ行く人はいます。
人のために人生を送りたいという人がいます。
徹底的に実行するとどうなるでしょうか。
善をやればやるほど醜い心が見えてきます。
東京で、電車に一杯。
横から、行こうとする人がいると。
だめですよ、許しますけどと、余裕があると。
時間がないとだめですよと。
電車来て、奥のほうが空いている。
詰めろよ、私はみんなことを考えているんですよと。
公共心だと、
しかし、自分が乗ったら、諦めてとなる。
自分が乗りたいだけ。公共心のようにいっているが。
善いことをすればするほど、醜い心が見えてきます。
欲を満たすのもできません。
なくすのもできません。
私たちは、煩悩でできているからです。
ではどうすればいいかということでキルケゴールは、宗教的実存を考えました。
ところが、当時のデンマークでは、キリスト教しかありませんでした。
キリスト教では救われません。
本当に煩悩あるがままで救われるのは、
仏教に説かれる煩悩即菩提だけなのです。