仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

目先の欲に心を奪われる

教訓的な話があります。
ある人通りの少ない山道を、大きい牛をひいて、わが家へ急いでいる一人の農夫があった。

牛は彼の最も大切な財産らしく、ふり返りふり返り、いたわりながら、日暮れの道を急いでいる。
やがて、農夫の後ろに二人のあやしげな男が現れ、一人が仲間にささやいた。
「おい、あの牛を、すり取ってみせようか」
「おまえがなんぼスリの名人でも、あんな大きな牛じゃねー」
相棒は首をかしげた。
「よし、それではやってみせるぞ。おれの腕前をみていろ」
 二人はスリが本職だった。
 牛をすってみせると言った男は早足で、グングン歩きはじめ、牛を追い越し、曲がり角の小さな地蔵堂の所で姿を消す。
 農夫は薄暗い地蔵堂の角に、なにか落ちているのをみつけた。
 拾ってみると、サラの皮靴の片方ではないか。
「せっかくの、すごい拾い物だが、片方じゃ使い物にならんわい」
 ぶつぶつ悔やみ言をいいながら、靴を投げすて、しばらくゆくと、
 またなにかが落ちている。
 拾ってみると、先ほど捨ててきた相手の靴である。
 先のと合わせると、新品の靴一足になる。

 農夫は、しめたと思った。
「だれも通らぬ山道だ。まだあるにちがいない」
 牛を道ばたの木にくくりつけ、飛ぶように引き返すと、案の定、靴はあった。
「今日は、なんと運のよい日だろう。こんな立派な靴が、ただで手に入るとは……」
 得意満面、喜び勇んで帰ってみると、農夫の最も大事な牛の、影も形もみあたらなかった。
 目先の欲に心を奪われて、最も大切なものを失う人の、いかに多いことか。

この話から分かることは、目先の欲望に心を奪われて大切なものを失ってしまうということ。
他にもこんな話がある。

太郎君は部屋でゲームをしている。
まずやることは集中してゲームの敵を倒すこと。
しかし少しカメラを引いてみると机の上には大量の課題。
締切は明日。
太郎君のすべきことは、ゲームではなく、机の上の課題を終わらせること。
しかし、もっとカメラを引いてみると窓の外が火事。
太郎君がすべきことは、ゲームではなく、課題を終わらせることでもなく、まず逃げることだった。
今のは空間的に視野を広げると、やるべきことが変わってくる。
もっと大事なものが見えてくるということ。

時間的にも同じことがいえる。
どこまで見通すかでやるべきことが変わってくる。
今日一日か、この一ヶ月か、この一年か、一生か。
先の先まで見通した上でやるべきことは何かを考えることが大切です。


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