仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

人生何をすれば後悔ないのか?

人生の最後問題になるのが、人生の中で何をやればいよいよ死んでいく時でもよかったと終われるのか。
普通どう考えるか。
やりたいことができなかったら後悔が残る。
だからやりたいことをやりたいだけ積み重ねていけばきっと死ぬ時に後悔ないんじゃないかと思うのではないか。
本当にそうか。

普通は、お金とか立場とか時間とか、やりたいことをやりたいようにはできないのが私たち。
歴史を見れば、自分のやりたいことを好きなだけやった人がある。

一例を上げれば豊臣秀吉
日本で彼以上に出世をした人はない。
百姓から出世していって最後は日本全国を統一した。
地球上で一番のお金持ちは、スペインのフェリペ二世か豊臣秀吉かという状態だった。
スペインフェリペ二世は、世界に植民地があった。
秀吉は、金山とか銀山を抑えてものすごい金持ちだった。

こんな話がある。
全国を統一したあとに、飼っていた鶴があった。
それを世話していた人がミスをして逃してしまった。
大事な大事な秀吉様の鶴を逃してしまった。
これは切腹だ。
だまっていてもバレるので、恐る恐るそのことを秀吉に言った。
激怒するかと思いきや、
「ああ、その鶴は、海を渡って中国まで行ってしまったのか?」
「いえ、さすがに中国までは行かないと思います」
「ということはこの日本のどこかにいるということか。
じゃあ問題ない。
この日本はわしの庭じゃからな。
庭から庭へ移動しても問題ない」
このように豪語した。

その秀吉は、できないことはなにもない、そういう一生。
最後死んでいく時に満足していると思うだろう。
秀吉自身、自分の人生を振り返るとどうか、聞いてみる。
辞世の句。
最後の心境を歌にする。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢
露がおちて儚く消えていくように、私の命も消えようとしている。
難波というのは大阪
天下統一したあとは、大阪城を築いてそこにいた。
大阪城を築いて天下統一するまでの自分の一生を振り返って、難波のこともと言っている。
私の人生振り返ってどうか。
夢のまた夢だったと。
夢の中で夢を見ているような儚いものだったと言っている。

皆さんも夢を見ると思う。
嫌な夢なら覚めてくれてよかったとなる。
これがいい夢ならどうか。
宝くじの1等が当たるとか好きな人に告白されるとか。
そんなときに、起きなさいという声が聞こえて。
ぱっと気づくと、あれ、1億円は?
なんだ夢だったのかとがっくり来たことあるのではないか。

ドラえもんがあるが、最終回というのが、きっとこんな風になるのではないかという
都市伝説があって、夢オチ。
ドラえもんがタイムマシーンでやってくるところから全部のび太くんがみている夢だと。
のび太くんが植物人間で、ずっと眠り続けている。
のび太くんが見ている夢があのドラえもんだと。
最後には暗い病室へお母さんがきて、今頃のびちゃんはどんな夢をみているのかしらねと
最後寂しく終わるというもの。

これは藤子不二雄さんの生前からその説があって、
ドラえもんの最後はそんな悲しい最後にはしませんと言っていた。

ところが秀吉の場合は、ドラえもんどころか、自分の人生そのものが夢だったと。
これが俺の人生よかったなということではない。
秀吉はあれだけのことをやりながら、どうしてこのような寂しい最後におわったのか。
それはやりたいことをやりたいだけやったら後悔ないというような簡単なものではなさそうだなと分かる。
どうすれば人生の最後に喜べるか。
そのためには、まず終着駅である死ということについてよく知る、よく学ぶのが欠かせないと言われる。


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