未来永遠の幸せになる仏法を聞いて
「こんな尊いを教えを利かせていただいてもったいない」
といって出させていただくのが財施です。
これを御法礼といいます。
仏法を聞かせていただいて感謝の思いから出される御報謝といったりします。
それにこんな格言があります。
「財施の多寡は法施の多寡をあらわす」
これは、あなたが仏法をどの程度話したかによって、
あなたにくる財施が変ってくるのだという法施する側に言われた意味もあります。
しかし同時に仏教を聞いて財施する側にも意味をもっています。
「寺銭」という言葉があります。
細かいお金という意味です。
門徒の人が寺に出すお金です。
一万円とか5千円とか千円札をよけて、1円とか5円とか100円とかを出します。
そういう人たちはお金を払わないほうが得だと思っています。
同じ映画をみるときにやすく見たほうがいいと思います。
それを仏法にもってきて、ちょっとでもお金を出さないほうが得だとおもっています。
そういう人たちのことを「法泥棒」と昔からいいます。
聞法の会場には来るものの財施をしない人を昔からこう風刺しています。
しかし、受け取った法の分しか財施をすることはできないものです。
同じ時間聞かれてもどれだけ聞かれたは違います。
同じ話を聞いても
1聞いた人は1財施ができる。
10聞いた人は10財施ができる。
100聞いた人は100の財施ができる。
ちょうど、空から雨が平等に降り注いでも
植物によって吸収したり受け止めたりできる量はことになります。
これが
「財施の多寡は法施の多寡をあらわす」
ということです。