ブッダの説かれた四苦八苦のうち、死苦以外の苦しみは、経験上、想像できる。
しかし、死の経験はない。
死については目隠しされている状態
だから、最後の最後まで実感がない。
他人の死と自分の死
これは、動物園の虎と、山の中でバッタリ出会った虎。
想像しているものと、実地に我が身に引き起こること、まったく違う。
実際、今までたくさんの人を看取ってきた医者が、
自分の死を前にしたらこう言っています。
「今までは 人が死ぬぞと思いしに
私が死ぬとはこいつたまらん」
まさか、そんな馬鹿な!
実は、今まで話してきた四苦八苦全部、この死苦でまとめて体験できる。
愛別離苦、一番愛しいもの、それは、やっぱり自分の体。
体の一部だけ、失っても、大変な苦しみ。
寝て起きたら、鬱血していて、手が動かない、ショック。
まして死んでいくときは、目も見えない。
口も聞けない、手のぬくもりも感じることができない。
恋人1人失っても大変なショックなのに…
死んでいくときは何もかも失う。
怨憎会苦、年取るのも嫌、病気も嫌。
だけどもっと嫌なのは、死ぬこと。
求不得苦、一番求めて得られないもの、永遠の命
秦の始皇帝は、何千人という家来を派遣して、不老不死の薬を探させた。
老いるのも、病気になるのも、最終的にはそのまま死に直結しているから、苦しい。
2600年間前の言葉だが、現代人にもそのまま当てはまる。
日本では、縄文時代、そんな時代から、四苦八苦はやっぱりあった。
科学が進歩しても今なお変わらない。
普遍的な苦しみを教えたのが、四苦八苦。
この苦しみは避けられないから、苦しみの根本的な原因を知って、乗り越えなければならない。