仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

人生は秋の夕暮れ

人生を季節にたとえれば、秋の夕暮れ
秋というと、
「食欲の秋」
「読書の秋」
といわれるけれども、外へ出れば、
今まで生い茂っていた木の葉も散っていき、冬に向かう。
何か寂しいものがある。
その上、夕暮れ時。
カラスが「カーカー」と鳴いている。
何かもの寂しいよね。

秋の夕暮れのたとえられているのは、人生の寂しさ。
なぜ人生は寂しいのか。
それは、一人ぼっちだから。
「独生独死独去独来」生まれてきた時、一人。
死んでいくときも一人。
その間に、色々な人と出会う。
親であり、先生であり、友であり、恋人であり、夫、妻、子供など。
そして、たよりに生きている。
しかし、だけれども、そういう人とのご縁もしばらくの間。
しばらくの間の親子。
しばらくの間の友。
しばらくの間の夫婦。
やがては、親子も、夫婦も別れていかねばならない。
死んでいくときは、一人ぼっち。
じゃあ、元気なときは、寂しくないのかというと、そうでない。
周りに色々な人がいても、一人ぼっち。
これは、肉体のことだけではない。
心のつれ、魂のつれがない。
みんなそれぞれに、自分の世界に住んでいる。
同じ色を見ても、考えていることは違う。
今まで育った環境も違うし、今までの行いが違うから、それぞれの自分のつくっ
た世界に住んでいる。
だから、親子といえども、夫婦といえども、お互いのぞき見ることができない。
もちろん、分かる部分、理解できる部分もある。
だけれども、いえることはいえても、言えないことがある。
親にも、子にも、夫にも、妻にも、言えない、秘密の蔵をもっている。
だから孤独なのです。
本当の意味では分かりあえないのです。
だからといって、どうせ分かってもらえない。
どうせ分からないのだといって、開きなおっていてはだめ。
お互い努力は大事。
だから、周り中たくさんの人がいても、寂しい。
東京砂漠なんていわれるけれど。
だから、自分のこと、わかってくれる人、理解してくれる人を求めている。
結婚する人、外見もあるかもしれないけれど、外見ではきめない。
自分のこと、認めてもらいたい。
理解してもらいたい。
聞いてもらいたい。
自分の苦しみ、わかる、分かるといってくれるだけでも救われた気持ちになる。
本当に、私達の秘密の蔵の中に隠しもっていること総てを分かって下される方が
あれば、救われるのです。
またそういう人を求めているのですね。
仏法を聞いていくと、そんな秘密の蔵ってあるのかなと思っている人も、分かってくる。
自分の心が知らされていくからです。

 


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