生きる目的が大切というと、
「目的がなくても生きていけます」という人がある。
「目的なしに生きるのは、生きれば生きるだけ死に近づくだけだから、死ぬために生きるようなもの。
目的がないと意味もなく死んで行く人生になるだけだろう。
大事じゃないか?大事だろう」
と言って相手が分かるのは、論理的な人。
しかし理科系でロジックな人でも、
目的という曖昧な言葉から難しい話はやめてくれという人も多い。
そういう人には
「みんな人生の目的を求めているのでないか」
というよりも、
「みんな幸せを求めて生きているのではないか」
と言えばいい。
人間というのは何のために生きているのか分からずに生きている。
それが変なことなのに、変なことだと思わずに生きている。
その変なことに決着をつけられるのは仏教のみ。
変なことを変だと思わせて、それに決着をつけるのは、仏教によらなければわからない。
人生は宝探しだと思う、探すのが人生の目的だと思うという人には、
「そうだよね。最初からわかってしまったらわからないものね」
といって仲良くなるのがいい。
「人生の目的がわからずに生きているのは、ちょっと変だよね」
それがハッキリするのは仏教によってハッキリするのですから。
「人生の目的は人それぞれでないですか」という人もある。
人それぞれではないかと言うのは当然のこと。
智慧や経験が人ぞれぞれの自分の力で作り上げているものが
人生の目的だと思っているから当然。
だから
「そうだね。みんな人それぞれだよね。表面的には。
だけれど、みんな幸せを求めているという点でみんな一緒だよね」
ということ。
生きる目的については以下の記事に詳しく解説されている。