仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

人生の一大事とは?

この御正忌のうちに参詣をいたし志を運び報恩謝徳を なさんと思いて聖人の御前に参らん人の中に於て、 信心を獲得せしめたる人もあるべし、 また不信心の輩もあるべし以ての外の大事なり。 ( 御文章五帖) 親鸞 聖人にご恩返ししようと参っておられる人の中…

真宗々歌の意味とは?宇多田ヒカルとどっちがいい?

「ふかきみ法にあいまつる 身の幸何にたとうべき ひたすら道をききひらき まことのみむねいただかん」 深い深いおしえ、深法にあうことができた。 人生の目的知らない人ばかりの中、生きる目的、生きる意味を知らされた。 ひたすらこの道を求めよう。 「永久…

定価の3倍で笛を買ってしまったフランクリン

アメリカの高額紙幣に描かれているベンジャミン・フランクリンが 小さい頃、笛を定価の3倍で買ってしまった。 人間なにかがほしくなるとほしいものは そんな自分を幸せにしてくれるわけではないのに。 たとえば金が洋服、そんな自分を幸せにしてくれるわけ…

お釈迦さまのご方便

f王舎城の悲劇で、韋提希夫人が、牢屋に入れられたとき、 お釈迦さまが来られます。 韋提希夫人はこう言います。 唯願わくは仏日、我に清浄の業処を観ることを教えたまえ (観無量寿経) そこでその後お釈迦様がどうされるかというと、 眉間の白毫相から光を…

親への悪口

王舎城の悲劇で、子供がいないことを悩んでいた韋提希夫人が、 占いの結果によって修行者を殺し、阿闍世(アジャータシャトル)が生まれるのですが、非常に凶暴な子供だったといわれます。 自分の子供がそんな状態になって行くわけですから、まさに悲劇です…

なぜ生きるかの大切さ

恩を見てみるとどんな恩か、どう生きるかに対する恩どう生きるかを見るとき忘れてはならないものが なぜ生きるか 一所懸命走ってどこにゆくか みんな走っている、ではどこの向かって走っているか? 分からないで感謝できるか? できない。 生きてゆくのは大…

王舎城の悲劇に見る惑業苦

親鸞聖人は、阿弥陀如来 に救われると、 韋提希夫人と一味の世界に出られると 正信偈に説かれている。 与韋提等獲三忍 (韋提と等しく三忍を獲る) お釈迦さまの当時インドで最強だったマガダ国の ビンバシャラ王と韋提希夫人の二人は 物質的には何不自由な…

仏教の修行の難しさ

一段一段聖道門の教えを聞いていった人に苅宣道心という人がいる。 弘法大師の開いた真言宗を学んでいた人。 初めは九州の探題にいて6カ所ぐらい治めていた人。もとの名前を加藤左右衛門繁氏という。 ある春に箱崎の花見に行ったところ、 お酒を飲んでいると…

阿弥陀如来はどんな極悪人をも救い切ることができる

願力無窮にましませば罪業深重もおもからず仏智無辺にましませば散乱放逸もすてられず (正像末和讃) 最初の半分は、無量光について。 後の半分は、無辺光について。 阿弥陀仏のお徳の二つについてです。 阿弥陀如来の本願力には限りがないから、どんな極悪…

阿弥陀如来に救い摂られても、煩悩はなくならない

能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 (親鸞 聖人『正信偈』) 信心決定した後も、煩悩は無くならないと言われている。「能」とは他力のことです。 阿弥陀如来 のお力のことです。 能が全部他力を表すわけではないですが、ここではそうです。 阿弥陀仏のお力によ…

仏教の五逆罪の恐ろしさ

仏教に教えられる五逆罪は、五つの恐ろしい罪。十悪よりも重い。 この五逆罪というのは、無間業と言われる。 一つ造るだけで無間地獄に堕ちる業。 無間地獄とは大変苦しい世界。 そういう世界に堕ちる業。 中でも一番目、二番目。親を殺す。 これは大変恐ろ…

藤原智美の人を殺してはいけない理由

昔の 文藝春秋に書いていた。 ○藤原智美(作家) (略) 奇妙なことに、だれに訊かれたわけでもないのに私たちは、 人を殺してはいけない「理由」を探しているのだ。 それは子どもたちのもつ理解をこえた「命への感覚」に気づき、 私たち自身がひどく不安に…

子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたらアウト

文芸春秋に出ていた。 『「なぜ人を殺してはいけないのか」と子供に聞かれたら』 ノンフィクション作家の久田恵の答え 「問われてからでは遅すぎる」 子どもはさまざまな問いを発して育っていく。 (略) 12歳の時に「いずれ地球は消滅する。生きるのはム…

怒りで仏教が聞けない人

「私は、先輩から、友達から、厳しいことを言われると、怒りが噴き出し、 仏教が真剣に聞けません。自分が悪いのに、悪いと思えません。 どうすればいいでしょうか」という人があります。 怒りは地獄に堕ちる業因、欲は餓鬼道、愚痴は畜生に堕ちる種まきです…

どうしたら真剣に聴聞できるか

「後生の一大事を聞かせていただいても、なかなか真剣になれない。自分のこととは思えない。どう求めたらもっと真剣になれるのでしょうか」 つまり、どうしたら信心決定できるかということでしょ。 それは宿善まかせと言われます。 柿は日に照らされ熟してい…

にせの信心と真実の信心の違い7つ

にせの信心も、真実の信心も、見た目は同じように見える。 しかし、にせの信心には幾つか特徴がある。 以下の7つの1つでも該当すれば危険。 1儀式によって信心を貰う キリスト教の洗礼のようなもの 真実の信心は如来のひとりばたらき。 儀式などを人間が…

仏教を求め聞くときのここだなあの心がけ

ここだなあ 超大型台風が、関西を直撃したときのこと。大阪のある学校で、先生始め大勢の生徒たちが、狂風に揉まれ、不気味に軋む校舎の中で、どうしたらよいものかと、生きた心地もなく途方にくれていた。 一人の教師がその時、敢然と立って叫んだ。「みん…

仏法を尊く思う心が 強ければ強いほど早く救われる

仏法を尊く思う心が強ければ強いほど早く救われる。 大無量寿経には恭敬三宝とある。 三宝とは、仏宝、法宝、僧宝。 宝と思えないものを求めている人もあれば、 宝を粗末にしている人もある。 宝だと分かれば大事にする。 蓮如上人のお言葉でいうと、 宝の山…

無碍の一道は罪悪も業報も感ずることあたわず

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし、罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなき故に無碍の一道なり、と云々。(歎異抄7章) この歎異抄に記されている、 「罪悪も業…

人生何の為に生きているのか

どう生きるか、の前に、 なぜ生きるか、がなければならない。 手段と目的があって、手段だけで目的がないのはおかしい。では、人生の目的は、決勝点は、どうなっているのか。 それは、摂取不捨の利益にあずかる事である。 その幸せが、絶対に崩れることなく…

天神地祇も敬伏し

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし、罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなき故に無碍の一道なり、と云々。(歎異抄) 無碍の一道とは、一切がさわりとならなくなっ…

浜崎あゆみの「シーズンズ」の歌詞の一部

浜崎あゆみの「シーズンズ」の歌詞 「繰り返してく毎日がつまらないと感じてた 不自然な時代のせいだと先送りしてあきらめていた」 毎日、同じ通勤の道を行ったり来たり。それを繰り返しているだけじゃ、どこかむなしい、何か足りない。 今のままの自分じゃ…

どうしたら人生の目的果たせるか

シドニーオリンピックでは、Qちゃんこと、高橋尚子選手が活躍 有森選手が、自分で自分を誉めたいと思います。すごく苦しい、さも大変そうだった。怪物だったのか。 黒いサングラスを投げ捨てて、フランスのシモンっていうのをぶっちぎりの優勝。 最初に描い…

罪悪も業報を感ずることあたわず

「罪悪も業報を感ずることあたわず」感ずることあたわずとはどういうことか? 苦しみが喜びに転ずるということ。どんな悪をしてもどんな悪果が返ってきても何も感じないとは よほどの恥知らずとなったり大変です。 そして転悪成善、罪障功徳の体となる。 「…

生きる意味

生きる意味について 芥川龍之介は小説の中に 「生きるために生きる為の人生の悲しさがある」 芥川龍之介とは、大正時代の文学者。日本の純文学最高峰の栄誉、芥川賞。小学生もわからないながらも知っている「蜘蛛の糸」「羅生門」。青酸カリで服毒自殺。 例…

初心わするべからず

「初心わするべからず」誰が言った言葉か。 能楽の完成者観世流の第二世 世阿弥もときよは常に弟子達に戒めている。 仏教の言葉ではないですが。 芸道を学ぶに一番大切なのは初入門の心、 これを一生忘れてはならないと言うのである。 厳しい芸の道に挫折す…

間断なく仏法を聞く

間断なく仏法を聞く、 この間断無き聴聞 こそ信楽開発の天地まで我々を進ませるのである。 信楽開発とは信心獲得のことです。信心決定とも言います。 何事によらず根気よく続けることは物事を成就するには最も大切である。 続ける、何か物事をつづける、免許…

越えなばと 思いし嶺に 来てみれば なお行く先は 山路なりけり

「越えなばと 思いし嶺に 来てみれば なお行く先は 山路なりけり」 越えたと思ったら,また先は山であった。 坂道を登ると言うのは大変に単調な作業なんだね。 例えば,受験勉強。毎日学校と家と塾とのそんな大それた遊びをやってたら、どんどん遅れていって…

『むなしさの心理学』

『むなしさの心理学』 「私はカウンセラーである。いろいろな人の悩みを聴いてきた。 最近気になっていることがある。・・・」 「自分に自身が持てない」「生きるのにもっと大切な何かがある」こんな感じる人は少なくありませんで、「生きる力を育てる」とい…

因果応報

自分の受けるすべての運命は、自分の行いの結果だから、 人が見てる見ていないに関わらず、仏様相手の求道をしましょう。 陰徳あれば陽報あり 陰でよい種まきをしている人は、必ず目に見える良い結果が帰ってくる。 反対に悪い種まきをしている人は必ず悪い…