仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

後生

六道輪廻とは

仏教で苦しみの絶えない迷いの世界六つを六道とか六界とも言う。 1地獄界2餓鬼界3畜生界4修羅界5人間界6天上界 これを六道と言いますが、道とは世界という意味。私たちの業が生み出した世界。六界とも言います。 仏教で世界とは、私たちの行いが生み出…

『巣鴨の生と死』に書き残された悪人の救い

『巣鴨の生と死』という本には、東条英機さんたちがつかまった巣鴨の刑務所。東京山手線に巣鴨駅。その刑務所の戦犯たちの様子を、当時、東条さんたちに話をした布教使、僧侶 が書き残しています。当時、東京大学の先生でもあり、兼、僧侶だった花山信勝とい…

きゅーブラー=ロスに学ぶ

キューブラー=ロスに学びたいと思います。 キューブラー=ロスという人は、スイスに生まれました。 1957年、医学部を卒業しています。 そして、死にゆく人をみとる仕事を続けて、『死ぬ瞬間』という本がベストセラーになります。 ホスピスの先駆けのよう…

臨終に必ず出てくる心とは?

心の闇一つ説明するだけでも凄い時間かかります。ある子供が、重い病気で死にそうになって、「ボク死んだらどこ行くの?」と聞き始めました。この子は14歳で、今まで、仏教聞いたことがありませんでした。聞いたことなくても、死ぬときなったら、必ず出てき…

哲学者・池田晶子さんの「死」は怖いものか?

子供でも死を目の前にすると問題になるのは、「死んだらどうなる」です。こういうことは他にも考えた人がありました。有名な哲学者の池田晶子さんです。全部ではありませんが、仏教的な考え方をしている人です。 その中に「死は怖いものか」という題の話があ…

キューブラーロスの最後のレッスン(NHKのインタビュー)

死にゆく人のケアをした人で有名なのが、キューブラーロスという人です。 今日ではホスピスとかターミナルケアといわれています。終末医療ともいいます。何十年前から続けられています。 死にゆく人をいかにケアをするか。非常に大切なこととして扱われてい…

死ぬ確率3%

何かをしたとき、死ぬ確率が3%や4%あると怖いと思います。しかし、そんな低い確率ではありません。人間にとって、死は100%です。あなたも人間なら、必ず死にます。 どうして平然としていられるのでしょうか?最悪の事態が確実にやってくるのに、準備…

NHK浄土憧憬

昔、NHKで浄土憧憬という番組がやっていました。今でもDVDで見られると思います。 現代人は、死にふれる機会が少なくなり、死について考えることは少なくなったけど、昔の人は、浄土へあこがれを懐いていたという内容です。 現代人は、死にふれる機会…

宗教学者・山折哲雄が死について語るなら

宗教学者の山折哲雄が『わたしが死について語るなら』という本をポプラ社から出しています。宗教学者が死について語ると、どうなるのでしょうか? 山折哲雄は、死を教育機関で教えることが非常に大切だと考えています。 「私は「死」について、「無常」につ…

本光房了顕の恩徳讃

親鸞聖人の恩徳讃には、身を粉にしても、骨を砕いても恩返しせずにおれないという報恩の気持ちが歌われています。 如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし(親鸞聖人・恩徳讃) ご恩返しが大きいということは頂いた幸…

宗教学者・山折哲雄が死について語るなら

宗教学者の山折哲雄が『わたしが死について語るなら』という本をポプラ社から出しています。宗教学者が死について語ると、どうなるのでしょうか? 山折哲雄は、死を教育機関で教えることが非常に大切だと考えています。 「私は「死」について、「無常」につ…

仏教をせっかく聞いているのに原点である後生の一大事が抜けていると?

仏教は後生の一大事を知るところから始まり、後生の一大事の解決に終わります。 仏教を聞いていても、すべての原点である後生の一大事が抜けていると、今辛くて苦しいとなって、逃げ出したくなります。そんな状態だと、人間関係が辛くて仏教が聞けなくなりま…

臨終に知らされる後生の一大事

仏教は後生の一大事を知るところから始まり、後生の一大事の解決で終わります。後生の一大事とは、死んだらどうなるかの一大事のことです。 私たちは、100%必ず死んで行かなければなりません。誰も関係ない人のいない問題が後生の一大事です。 ところが…

ブッダの説かれたことは一つだけ

ブッダの説かれたご説法は、後生の一大事しかありません。 わが身の一大事という事を思い出す為には、3つのポイントがあります。1つには、諸行無常で、自分は必ず死ななければならないということです。 2つには、自分が悪しか思えないということです。 3…

仏教で一大事とは

仏教で一大事というのは、一度おこってしまったなら、二度と取り返しのつかないことです。それを一大事といいます。世間でもよく一大事と言いますね。例えば、家事で家が丸焼けになってしまうと、それは一大事だと、みんな言います。 また、主人が交通事故に…

仏教で死後は霊魂もなければ無でもない

仏教は死後の世界を否定する「断見外道」でも、死後も変わらぬ霊魂が存在するという「常見外道」でもないことをブッダはお経に説かれています。 それは、阿含経の 「因果応報なるが故に来世なきに非らず、無我なるが故に常有に非らず」 というお言葉です。 …

東本願寺って何?

浄土真宗で東本願寺といわれている真宗大谷派は、なぜか死後の世界を認めません。浄土真宗なのに死後の浄土も説きません。親鸞聖人の救いは、この世だけと言っています。 実際、死んで行くときは死んだらどうなる が大問題になります。 いよいよ死が近づいて…

地獄の苦しみ

ブッダは必堕無間と教えられています。すべての人は、必ず無間地獄に堕ちるということです。 親鸞聖人はこの無間地獄について、八万劫中大苦悩ひまなく受くと教えられています。 一劫は4億3200万年。八万劫はその8万倍です。気の遠くなる苦しみをひまなく受…

死んだらどうなるかの問題の大きさ

後生の一大事というのは、死んだらどうなるかの一大事です。 私がいろいろな人の書物を読んでいるのは、日本は小さい国と言いながら、立派な方が沢山おられると思うのです。 後生の一大事を解決する、より近い道を教えておられる大徳があるならば、それを学…

死ぬのは誰?

浄土真宗の葬式でよく読まれる白骨の章に「我や先、人や先」と書かれています。 これは、死ぬのは私が先で、他人が後だということです。 普通私達は、逆で「人や先、我や先」と思っています。 死ぬのは他人だと思っているのです。 それならまだいい方で、「…

もし人間に生まれていなかったら

もし私たちが人間に生まれていなかったらどうなっていたでしょうか。 仏教では「六道」と教えられています。「六界」とも言います。 人間に生まれるずっと前から、6つの世界を生まれ変わり、死に変わりしてきました。 六道とは、地獄、餓鬼、畜生修羅 、人…

極楽に往けるかどうかいつわかる?

よく、臨終ににっこり笑って死んで行ったから今頃極楽だろうという人があります。逆に、苦しんで死んだから地獄だろうという人もあります。 ところが死に様と救われたかどうかは関係ありません。 覚如上人はこのように教えられています。 然れば平生の一念に…

極楽に往った人は必ず還ってくる

生きているときに絶対の幸福になった人は、死んで極楽に往くだけでなくて、この娑婆世界に還ってきます。 これを「還相廻向」といって、それを書かれたのが正信偈の「遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」(正信偈)です。 極楽に往生した人が、八功徳水の温泉に…

仏教を聞く暇はない

子を育てる暇はありませんが、大事と思えばこそ、子を育てながら仕事ができます。 後生の一大事の心さえあれば、生活のままが求道になります。精進こそ肝要です。 後生の一大事の一大事の心さえあればです!! 後生の一大事とは、死んだらどうなるのことです…

東条英機が13階段を登ったときの様子

東条英機の辞世の句 日も月も蛍の光さながらに行く手に弥陀の光輝く 日って太陽です。月はお月さん。太陽や月が蛍の光だと。蛍って見たことある?ちっちゃいよね。よく田んぼにチラチラいるね。田舎に行くと今でもあるでしょうけど。 今でもあるでしょうか。…

デカルトの臨終

デカルトは、神が中心だった当時に、我思う故に我ありと、人間を中心に考え始めた。 近代哲学の父といわれる。 では、そのデカルトさんは、死んで行くときどうだったか。 デカルトさんは、物心二元論と言って心と肉体は別だ、分離するんだ。『さあ私の魂よ、…

別れ路のさのみなげくな法の友

別れ路のさのみなげくな法の友また遇う国のありと思えば 法然上人のお歌 別れ路、いよいよ親鸞 とも別れが来たか。親鸞聖人は越後、法然上人は土佐。おそらく今生最後の別れとなるだろう。しかし、さのみ、これはそんなに。そんなに嘆き悲しむな。法の友、法…

自分の死は臨終になるまで分からない

今までは他人のことだと思ったに俺が死ぬとはこいつたまらぬ これはある有名な医者が歌った歌ですが、医者は人の死をみとる、人の死ばかりみているんですけど、人の死を観ているときと自分の死を迎えるときとは全く違う。 天地雲泥の差がある。檻の中の虎を…