仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

私たちの苦しみ悩みの根本原因は煩悩ではなかった

人生の目的というのは、一度しかない人生を悔いなく終わるために、
とても大事なものです。

仏典の中にその答えがあるわけですが、
ではどうしてそう言えるのか、詳しく学ぶために、教学をしていきます。
教学というのは、仏教の学問です。
教学をすることで、人生の目的が「破無明闇」であるということも判然としてきます。

人生の目的と聞くと、人それぞれ好きなことをすればいい、
という人もあります。
ほんの一時は喜べても、そのうちに色褪せてしまう。
そんなものばかりを追い求めるだけの人生でいいのでしょうか。

「そうじゃない、
心の闇を破ることである」
言葉では簡単に言えるんですが、
仏教は今日、一切経となって残っています。

その数は七千巻余りといわれ、膨大です。
この膨大な一切経に説かれていること、それは
人生の目的が、心の闇を破ることである、ということ一つです。

仏教には何が教えられているのか。

愚禿鈔』にあります。

ここには、二双四重の教判が教えられています。

「聖道・浄土の教について二教あり〜」

これは、別に今は意味が分からなくても大丈夫です。
どういうことが説かれているのか、簡単に言うと
釈迦の本意はどこに説かれているのか、
その本意を明らか
にするための方便のお経、
そういったことが順序立てて教えられています。


一言で仏教と言っても、
聖道仏教といわれるものと浄土仏教といわれるのもの
2つがあります。
漢字でこのように書くと、見慣れない感じがするかもしれませんが、
つまりは、何が苦しみの原因なのか、ということです。

誰も苦しむために生きているわけではありません。

何が人生を苦しみに染めているのでしょうか。

聖道仏教ではその原因を「煩悩」だと教えます。
浄土仏教では「心の闇」だと教えます。

「煩悩」というのは全部で108あります。
代表的なのは、貪欲、瞋恚、愚痴です。
持っていない人はありません。
この108の煩悩が年がら年中、私たちを煩わせているように思われますので、
除夜の鐘は108回鳴りま
す。
中国でも鳴ります。

108つ鳴るのには意味があって、

この1年、色々とイヤなことや辛いことがあった。
煩い悩みが絶えなかった。
そんな煩悩が、鐘が鳴るごとに減ってくれるなら、どれほど幸せになるだろう。
そう思って新年を迎えるんですが、
年が明けると同時に初詣に行って、色々お願いしています。
煩悩はなくならないんです
それでも、なくなったらいいな、そういう願いから除夜の鐘はつかれます。

私たちの欲といっても5つあります。
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の5つ。
どれが一番強いでしょうか。
これまでの分析によりますと、最初と最後を選ぶ人は、
実は真ん中が一番強かったりするんですが。

欲とは「欲しい」ということです。

キリもキワもない。
そんな欲を満たそうとしても無理ですので、
常に「不満」という苦しみに染まっている。

また、他人のものであっても、自分のものにしたくなる。
それが欲です。

そうやって手にしたら、誰にも譲りたくない。
でも、それが高価なものであれば、みんながそれを狙っている。
そうなると、落とすんじゃないか、盗られるんじゃないか、
そう思って「不安」になる。

手にすればするだけ、「不安」は大きくなる。
何がそうさせるのか。

それは欲です。


社会に出た人にインタビューしますと、
一番苦しいのは“人間関係”だと言わ
れます。
それも、こうした煩悩からきています。
そうなると、これさえなくなれば、これこそ苦しみの原因だと思ってしまいます。
ですがもしそうなれば、なくならないものが根元だということになりますので、
一生苦しみ続けること
になる。

はじめは苦しみの根元は煩悩だと思い、何とかなくそうとされたのが、
親鸞
人の比叡山での仏道修行であったのです。
昔から日本の仏教といったら比叡山高野山
今でいうと、東大と京大。
優秀な人が集まっていました。
どっちが京大で、どっちが東大か。
その比叡山の傑僧と呼ばれたのが親鸞聖人でした。

厳しい修行の後、29歳で山を下りられます。
そして、吉水に法然上人が草庵を建てておられた。
そこで、法然上人から、
「苦悩の根元は煩悩ではないんですよ、心の闇なんですよ」
ということを聞かれたので
す。

親鸞聖人の生涯を通して、苦しみの根元は心の闇である、ということを
らかにしています。

煩悩について、詳しく知りたい方は、
こちらの記事を見てみてください。

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