仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

蓮如上人の三願転入

この雑行雑修の共通悪は共に自力の心。何とかすれば何とかなれると思っている心。それで雑行雑修自力の心を振り捨ててと言われている。 この短い言葉に三願転入のみ教えがおさまっている。 蓮如上人は親鸞 聖人の三願転入の心を19願を雑行と言われ、20願…

雑行についての疑問

雑行については非常に大切なことです。 金儲けや病気治しのため。 これも雑行にはいるのでしょうか。 後生の一大事助かろうとする行為は全て雑行に入ります。 自力の心ですね。 自力の心とは身口意の三業をよくして後生の一大事助かろうとする心を言いますか…

領解文とは

領解文というのは蓮如上人がお書き下されたのものです。仏教の全てがおさまっています。領解とは体験。体験を文章化、告白されたのが領解文 体験と言ってもいろんな体験があるがこの体験は時間と空間を超越した体験。後生の一大事の解決をした体験。体験は西…

一意専心

一意専心、心を一つにして、一心不乱に。次があると思うから油断して失敗する。一座の聴聞 にかける思いが大事。次があると思うから真剣になれない。この一座で、何としても信心決定するぞという信念が大事。 聴聞に極まるといわれるが、善知識より聞かせて…

お釈迦さまから七高僧へ

もし、1点を通る直線を書けといわれたら、いくらでもかける。しかし2点を通る直線を書けといわれたら、1本しかない。 もし、8つの点をとおる直線、8つの点をとおる直線を書けといわれたら、たまたま書けたとしてただ1通りしかない。お釈迦さまは人生の…

阿弥陀仏の立撮即行のご苦労

阿弥陀如来 は十劫以来おたちづくめ。それで阿弥陀仏のお姿を立撮即行。阿弥陀仏はずーと十劫の昔からおたちづくめで、何とか救いとろうとずーとおたちづくめ。与えることが目的、受けとらせることが目的。名号を受け取るというのは、船に乗るということ。 …

親鸞聖人の田植え歌

親鸞聖人が田植え歌を歌われた日の朝、 稲田の草庵をでられるときに 田植えをしようと出られたのでない。 目的は布教です。 関東で親鸞 聖人の教えを聞き求めていた平太郎さんが、はじめは親鸞聖人から遠く離れていた。ところが親鸞聖人のお導きがあって真剣…

正法・像法・末法の三時

現在は末法といわれます。 末法とは何でしょうか。 仏教では、正法、像法、末法、法滅の時代区分があります。 正法の時機・・・釈尊がお亡くなりになられてから500年像法の時機・・・正法の時機終わってから1000年末法の時機・・・像法の時機終わってから100…

仏法者は心の田んぼを耕す労働者

盤根錯節。 盤根錯節とは、荒れている、ぼこぼこである。 大地があると、あっちにもこっちにも、木の切り株があって。 いばらがある、石があちこちに埋まっている。 こういうように、荒れ果てた土地に、なんとか種を蒔いて、実りの秋に収穫がとれるようにす…

平生業成、不体失往生、現生不退

平生業成、不体失往生、現生不退。 平生業成について、 昔の能登半島は、仏教聞かなかったら、村八分にされるところ。 そこに三国一の同行が来た。 そしてその人に対して、仏教の先生が説法に立たれた時、 休憩になると、控え室に怒鳴り込んできた。 何じゃ…

人間の慈悲と仏の慈悲の違い

人間の慈悲と、仏様の慈悲とは、いろいろな点で違う点がある。 たとえば、昔からよく、人間の慈悲を小慈悲と言いまして、 仏様の慈悲を大慈悲と言う。 単にその慈悲が深い大きいと言う意味にとどまらず、 親の慈悲とか家族の愛情というのは大事なんだけれど…

親鸞聖人の田植え歌

親鸞 聖人が田植え歌を、最初は田植えのはかどる歌といわれた。 みんな全然説法を聞きに来ないから。あの人達にとっては後生とかどうでもよくて田植えのことで頭がいっぱい。私達も仕事がある、近所づきあいがある。 仏法どころじゃない。 親鸞聖人は本当は…

親鸞聖人が救われたプロセス

阿弥陀如来 は48の願を建てられた。 本心は18願。 18願の世界に引っ張り出すために立てられたのが 19願と20願。 この19願、20願も、非常にみ心が深い。私たちが19願、20願を呼んでもわからない。 さとりは一段違えば人間と虫けらほど 境涯…

無上の信心を獲得できるのはなぜ?

無上の信心を獲得できるのは、阿弥陀仏と釈尊のおかげである。 釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまいけり(高僧和讃) 「無上の信心」とは=他力の信心=人生の目的阿弥陀仏とお釈迦様のご苦労によって信心獲得させ…

三定死

二河白道のたとえで、 旅人が二河の間の白道を進んでいくと、 やがて三定死になる。 自ら思念すらく「我今回らばまた死せん、住まらばまた死せん、 去かばまた死せん、一種として死を免れず」。 もうこれ以上進めない。帰ろうと思う。しかし、帰ろうとしても…

仏教ではなぜ教えの通りにするのか

我も知らぬことなり、何事も何事も知らぬことをも 開山のめされ候ように御沙汰候」と仰せられ候。 (御一代記聞書159) 御一代記聞書は蓮如上人の言行録 ある人が蓮如上人にたずねた。 「これはどういうことでしょうか」蓮如上人「わしもわからん」「しか…

私は誰?「広末とソフィーの世界」

昔NHKであった番組 「広末とソフィーの世界」 広末が14歳のとき出た本、 ソフィーが14歳 「あなたは誰?」から始まる 「私は、ソフィー」 それは「あなたの名前」「私の時計」これは「私の時計」であって 「私」じゃない。 仏教は、本当の私とはどん…

如来二種の回向とはどういうことか

他力の信をえんひとは 仏恩報ぜんためにとて 如来二種の廻向を 十方にひとしくひろむべし(親鸞 聖人『正像末和讃』) これは、「最大の仏恩報謝は真実信心を伝えることだ」 と教えられている。 如来二種の回向をひろめることと 真実信心を伝えるということ…

群賊・悪獣・悪知識

二河白道のたとえに出てくる 群賊、悪獣、悪知識とは、仏法聞くな聞くなと妨げるもの。 なぜ妨げるのかと言うと、その値がわからないから。そう簡単に値がわかるものではない、仏法は。 巨人戦とかそういうものなら、人はいっぱい集まる。だけどあまりにも値…

二河白道のたとえ

二河白道のたとえについて。 二河白道の譬えと言うのは、善導大師の作られたもの。 1300年前の唐の方。 親鸞 聖人は善導大師のことを 「善導独明仏正意」といわれている。 善導大師ただお一人仏の正意に明らかにせられた。 明らかであられたからこそ、明…

親の恩に報いるには

日常でも、受けた恩に報いる時には、まず相手の喜ぶことをしなければなりません。 母の日にはプレゼント送りましたか。 お母さんの喜ぶことは何か、知るところから始まります。 お母さんが、甘党か辛党かによって、渡すものが違ってきます。 もし、甘党なら…

世間へ使うことは恐ろしく思うべし(蓮如上人)

アメリカの高額紙幣にのっている建国の父 ベンジャミン・フランクリンは、 小さい頃、笛が欲しくなって、定価の4倍で勝ってしまった。 この話は、私達は真価以上に争ってものを手に入れている、 ということを言われている。 では、何を代償に手に入れようと…

正しい信心をあらわす蓮華の五徳の花果同時の徳

花果同時の徳とは、花が咲いたときに実がなる、それだけでは不十分。 特徴の一つ目は、一度に音を立てて咲く。 朝顔はゆっくり咲く。三分、五分と咲いていく。 蓮華は咲いてないときは咲いていない。 開くときにポーンと音たてて咲く。 もう一つは、花が咲く…

生涯かけてでも求めるべきものは何か。いろは歌

それは最後、「すべて夢だった」「何もこの手の中に残ってはいない」と空しく終わっていくようなものではない。 ○何を手に入れたら「求めて本当によかった」といえるのか。そんなものが本当にあるのか。それを「いろは歌」の後半では、「ある」「あるから求…

親鸞聖人は29歳で人生の目的を果たされた

親鸞聖人は仏教を聞かれて、29歳の御時に人生の目的を果たされた。人生の目的を果たし遂げようと思われたきっかけ、 これをまず知ってもらいたい。 聖人は800年前にお生まれになられて、 わずか4歳でお父様が亡くなられた。親をなくすということは大変…

人生の目的はなぜ完成できるのか

人生の目的に完成がある、とは、剣の道を完成したとかいうのとは違います。 それは、あまり剣の道を知らない人です。宮本武蔵は、名実共に日本一の剣客でした。しかし、まだまだと、完成なんてないと言っています。 将棋で、羽生名人は、将棋の道完成したか…

信心とは

信心といいますと、諺にも、「鰯の頭も信心から」と言います。 鰯とは、非常に安い、昔は人間も食べなかったものです。しかし、尊いと思って信じれば、それも信心です。 何でも信じていれば、信心です。宗教を信じていない、そういう人が多くいます。無宗教…

正信偈の龍樹菩薩のところの意味

正信偈 龍樹菩薩(ナーガールジュナ)の所。 「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)弥陀仏の本願を憶念すれば。憶念というのは、どちらもおもうということだが、 憶は時々おもう、念は明記不忘といって、常におもう。 …

歴史上の人物ナンバーワン

今日にも名前を残す人物が色々いますが、最も多くの人から注目を浴びて、歴史 上人物ベストワンという人がいます。 時は約800年前、鎌倉時代。平安から鎌倉にかけて、思い出す事と言えば、源頼朝、平清盛。 戦国武将で言ったら色々いる。しかし、何百年の…

モチベーションが続かない

調子のよいときは、よし頑張るぞ、と無理をしてでも頑張ろう という気持ちがあるのですが、その思いが続かなくて、 気落ちすると仏法を聞こうという気持ちがなくなってしまいます。 感情の揺れが激しくおこる人はどうすればいいのでしょうか。 仏法を求める…