仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

教学

仏教の全体像

ブッダが説かれた教えは一切経となって書き残されています。それは七千余巻といわれるたくさんのお経です。 仏教に何が教えられているか知るには、この一切経を読まなければなりません。ところが、難しい漢字ばかりで書いてありますし、あまりにたくさんある…

四苦八苦の通仏教と浄土仏教の違い

四聖諦は仏教の基本的な教えで、これを否定する人はありません。 苦諦-人生苦なりという真理集諦-苦しみの原因を教えた真理滅諦-苦しみが滅した世界を明らかにした真理道諦-救われる方法 これらの中身については、通仏教では、このようになります。 苦‐病状‐…

阿弥陀如来はなぜ諸仏の王なのか

阿弥陀如来は、本師本仏です。 それはなぜか、阿弥陀経にも説かれています。 阿弥陀には二義あります。一つには、光明無量、阿弥陀バハ。二つには、寿命無量、阿弥陀ユス、と言われます。これは阿弥陀経の名義(みょうぎ)段です。 ちなみに、阿弥陀経の内、…

法霖と鳳潭

江戸時代の浄土真宗では、能化制度がありました。 トップの学者が能化になり、絶大な権力を誇りました。 有名な学者ばかりですが、中でも法霖。有名なエピソードあります。朝帽子をかぶせておいたら夜までかぶって本を読んでいました。真っ暗になるまで本を…

浄土真宗の覚如上人の著作2つ

浄土真宗の3代目、覚如上人に改邪鈔という本があります。これはまさに破邪顕正の本です。邪を改めるとあるように。間違ったものを改めなければ本当の幸福になれません。 邪を破らずして顕正はできません。邪を持ったままでは絶対に後生の一大事の解決はでき…

如来とは

仏のさとりをえた人を如来とも言います。 阿弥陀如来とか大日如来とか薬師如来など、 たくさんの如来といわれる方があります。 では如来とはどんな意味かというと、真如より来現した人という意味です。 如来も仏も同じ意味です。真如より来現した人。これが…

法然上人と親鸞聖人の著作の共通点

浄土真宗を開かれた親鸞聖人のお師匠様は浄土宗を開かれた法然上人です。 弟子である親鸞 聖人の任務は師匠である法然上人の御心を明らかにすること以外にありませんでした。 法然上人が阿弥陀如来の本願一つを明らかにされて書かれたのが選択集です。 お師…

真諦門と俗諦門

真諦門、俗諦門というのは、真俗二諦の教えと言われます。 真諦門というのは、いつでもどこでも変わらない真実のことを言います。時代によって、場所によって変えるものでない。どの人種も、いつの世紀になっても、宇宙人であっても、三世十方で変わらない真…

お経の相手

ブッダが説かれた経典というのも、それがどんな相手に説かれたかというのは決まっているんです。 いつ説かれたかは書かれてないですが、どこで、誰を相手に書かれたかというのは書かれています。 「阿弥陀経」の最初にも、相手を書かれています。 「是の如く…

神に仕えようか悩む

熊野といえば「権現」です。もとは仏であったものが「権」りに神として「現」れたものを「権現」といいます。仏教の中には『本地垂迹説』というのがあって、確かに神として仏が現れるということは説かれています。 それを持ってきて、仏教で説かれる「神」と…

南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違い

お釈迦さまの教えは「南無阿弥陀仏」一つです。この解説をせられたのが釈尊です。 浄土真宗の親鸞 聖人は「更に親鸞珍しき法をも弘めず如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」ということで釈迦如来の教えられたことをそのまま教えられました…

一秒も休む暇なし前進す

お聖教のお言葉を苦労して自分で作って書いて覚えた。自分で書いた文だけ種蒔きが違うから。自分で苦労する。パソコンで打つ。打った人、書いた人が得をする。 見るだけより書いていって読む。全部総動員させて必死に覚えようとする。何時も持ち歩いて拝読し…

教学の大切さ

顕正の面で言いますと、よく自分が理解できていますから筋道立てて話ができる。 ところが教学をしていない人は無茶苦茶なとりとめのない話になる。相手に嫌がられて伝えられない。こういう違いが出てくる。またお聖教の理解から言えば。 正しくお聖教の解釈…