仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

信心

生きていると必ず裏切りにあって苦しむ

生きる時には、何かを信じる、頼りにする、あて力にしないと生きていけません。 私達、生きるということは、何かをたよりにしているということ。「人」という字はお互い支えあうということから、「人」とできている。大学生の私達、親をたよりにしている。そ…

浄土真宗の間違ったグルーブの見分け方

浄土真宗では、間違ったグループがたくさんあります。親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人と異なる信心を異安心といいます。 信心は心の問題ですので、その人の心がどうかは分かりません。分かるのは、その人が説く教えです。 ですから、浄土真宗の教えを相当学ん…

六曜は迷信?

立命館大学名誉教授の安斎育郎が、幽霊などは迷心だということを言っていました。それだけ迷信を破っている親鸞聖人は凄いと言っています。仏教が迷信を迷信と教えているということを書いています。 大安、仏滅とか六曜を非常に気にしているのが日本人です。…

他力信心の特徴の一つ「一花多果」

他力の信心には蓮華のような特徴があります。 その一つが、一花多果の徳です。 蓮華は、一つの花にたくさんの実がなります。 それと同じように、信心獲得すると、数限りもない幸せになります。 無限の幸せになれるのですが、数え切れないと私たちには分から…

歎異抄の謎・悪人正機とは?

親鸞聖人の教えを悪人正機という言葉があります。これは特に親鸞聖人のお言葉を書き残された歎異抄で有名です。善人でさえ助かるのだから、悪人はなおさら助かると教えられています。 正機というのは正客ということです。正客というのはお目当てということで…

絶対の幸福になる為にそろえる5つのもの

絶対の幸福になるには、どうすればいいかというと、5つのものをそろえなければならないと蓮如上人は御文章に教えられています。 これを五重の義といいます。 この五重の義成就せずは、往生は叶うべからずと見えたり。(御文章) とあります。では、その5つ…

言葉を離れた絶対の世界

絶対の幸福は言葉を離れた世界です。それどころか、相対の幸福でも言葉で表すことはできません。 例えば、味は言葉で表せるでしょうか。 食べたことない人に、味を言葉で伝えることは不可能です。 では味は存在しないのでしょうか? 存在します。 前も話しま…

日本古典文学大系に親鸞聖人の和讃

罪障功徳の体となる氷と水のごとくにて氷おおきに水多し障りおおきに徳多し これは、親鸞聖人の書かれた高僧和讃の一つです。 まず和讃というもの、これは文学の一つです。575なら俳句、57577なら短歌です。 和讃というのはそういう文章の表し方のも…

どうしたら絶対の幸福になれるのか

どうしたら絶対の幸福になれるのかは、蓮如上人が明解に教えられています。絶対の幸福になることを信心獲得ともいいますが、蓮如上人は、信心獲得は何によって決まるのか、『御文章』4帖目1通にこう教えられています。 されば弥陀に帰命すというも信心獲得…

南無阿弥陀仏とは

今回は、突っ込んだ深い話です。昔、国木田独歩という文学者は、キリスト教の信者でしたが、臨終になって牧師を呼ぶと、ただ神に祈りなさいとしか言いません。真心で祈ろうとしましたが、死の不安はまったく解消しませんでした。 なぜかというと、本当に神が…

信心は同じになるのかどうか。

浄土真宗を開かれた親鸞聖人34歳のときに3人のお友達とケンカをされたことがありました。これを信心同異の諍論といいます。 親鸞聖人が、先生の法然上人と信心は同じだというと、勢観房・念仏房・聖信房が、そんなはずはない、自惚れるのもいい加減にしろ…

信心決定するとどう心が変わる?

廻心ということについて。 浄土真宗を開かれた親鸞 聖人のお言葉を美しい文章で書かれた歎異抄にこのような言葉があります。「一向専修の人においては、廻心ということただ一度あるべし」(歎異抄) 廻心というのは、心ががらっと変わるということです。信心…

浄土真宗の異端の特徴が私たちの心に巣くう

浄土真宗の異端で、一対一で夜中に秘密の儀式で信心を授ける秘事法門というものがあります。 その特徴として、大衆を教化しません。多くの人に仏教の話をせず、伝えないということです。自分の考えを分かってくれる人のみに話します。それは、体験談を話して…

信心決定したら聞く必要はない?

人工信心は、頂いた後は、聞く気がなくなります。 信心決定するまでは、火の中かきわけても聞きたいとは思えません。しかし信心決定したならば、火の中かきわけても聞きたくなるのです。もっと聞きたい。 昔、三代市という妙好人が姑に反対されながらも仏法…

正信偈に何が書かれているのか

正信偈は親鸞聖人お書きになられたものです。親鸞 聖人の主著は「教行信証」ですが、その教行信証をまとめられたもの、圧縮したものが、「正信偈 」です。ですから、親鸞聖人の浄土真宗の教えは、全部正信偈 の中に収まっているのです。 全部で840字で書…

仏教の会合の目的

蓮如上人は、会合の目的をこのようにおしえられています。 毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、在家無智の身をもって、いたずらにくらし、いたずらにあかして、一期はむなしくすぎて、ついに三塗にしずまん身が、一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数…

仏教講座で聞いた喜び

仏教講座に行ったとき、聴聞 で何も知らされることがありませんでした、という後ろ向きになることもあるかもしれませんが、仏教講座に足を運んだということは、それだけ仏縁が深まったということになります。 それが、善知識同行に親しみ近づくと言うことに…

信じる人も疑う人も幸せに

浄土真宗を開かれた親鸞 聖人は、主著『教行信証』の一番最後に、「信順を因と為し、疑謗を縁と為し、 信楽を願力に彰し、妙果を安養に現さん」と記されています。 信じる人もいるだろう、疑う人もいるだろう、それらを因縁として、早く救われてもらいたい、…

幸せになれない原因は自力の心

私達は幸せを求めて生きています。 私達が信じているものは、お金や財産、地位、名誉など、色々ありますけど、みんな幸せになれると思って信じているわけです。 しかし、それらのものは幸せにしてくれないんです。 だから、それを信じていても幸せになれない…

宗教が必要な一つの理由

どんなたよりにしているものも最後は必ず崩れてしまいます。 それをおっしゃった蓮如上人のお言葉があります。 まことに死せんときは予てたのみおきつる妻子も財宝もわが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば唯一人…

失って始めて気づく健康の大切さ

健康とか親というのは、普段あまり気にしていないけど、失ってみて、いかに大きな心の支えであったか知らされるものです。 健康でいられると思うから、明日の予定とか来週の予定とかを考えるのであって、いかにあてにしているかということは、毎日の食生活を…

私たちの人生で一番大事なことは?

私たちの人生で一番大事なのは、生きる目的です。 生きる目的は、信心獲得して絶対の幸福になることですから、一番大事な信心獲得することを本とします。 煩悩具足の私たちは目的を見失うのが自性です。常に決勝点を聞かねばなりません。 気を緩めると目的を…

新春や破満の徳に輝けり

新春や破満の徳に輝けり 新春を迎えた今、破満の徳に輝いています。破満とは、破闇満願のことです。 人生究極の目的は破闇満願の身になることです。破闇満願とは、中国の曇鸞大師のお言葉です。 心の闇を破って究極の願いを満たす。ということです。 仏教を…

南無阿弥陀仏は単なる文字?

南無阿弥陀仏という真実の宝は、阿弥陀如来が私たちに受け取らせるために作られました。 ところが、南無阿弥陀仏は単なる文字じゃないかという人がいます。南無阿弥陀仏は、垂名示形の南無阿弥陀仏です。 名をたれて形を示された阿弥陀如来の御心の顕現です…

絶対の幸福とはどんな幸せか

絶対の幸福になると、生きているときに、限りない幸せがえられます。それを10種類にまとめて「現生十種の益」と教えられています。 1つめは「冥衆護持の益」です。冥衆とは菩薩、諸神のことです。護持とはまもるということです。 菩薩、諸神が守って下さ…

たのむ

仏教に「たのむ」という言葉があります。 この「たのむ」というのは漢字で書くと「憑む」です。 たのむというと普通は「頼む」という字で、「お願いする」という意味で使っています。「たのむから僕に答案をみせてくれ」「好きと言ってくれ」「焼き豚おくれ…

阿弥陀仏が誓われている内容

阿弥陀如来の本願に誓われている内容は、三つの心にしてみせるということです。これを「本願の三心」と言われます。 また弥陀の本願のことを「本願三心の願」と言われたりします。 斯の大願を「選択本願」と名く、亦「本願三心之願」と名く、復「至心信楽之…

人の言葉でぐらつく信心は臨終どうなる?

他力金剛の信心を獲得していない人は、これは間違いない、私の当てになるものだと思っても誰かに非難や攻撃を受けるとすぐにぐらぐらになっちゃうんですね。 約700年前、関東の同行達が日蓮宗を開いた日蓮や善鸞の言葉にぐらついて、浄土真宗の親鸞 聖人…

なぜ幸せが得られず苦しむのか

人間が人生で幸せ を求めながらなぜ幸せが得られず苦しむのか。 それは当てにしていたものが何の前触れなしに壊れてしまうところからです。 世の中を見てみると、今森容疑者という人が筋弛緩剤を点滴に入れて、おじいちゃんおばあちゃん子供も何十人もころし…

信心はなぜ必要?

信心はなぜ必要なのかといいますと、私たちは何かを信じなければ生きてはゆけないからです。 信心とは、何かを心で信ずることです。信ずるということは言葉をかえればたよりにする、あて力にするということです。 私達は何かをたよりにし、あて力にしなけれ…