どうしたら絶対の幸福になれるのかは、蓮如上人が明解に教えられています。
絶対の幸福になることを信心獲得ともいいますが、蓮如上人は、信心獲得は何によって決まるのか、『御文章』4帖目1通にこう教えられています。
されば弥陀に帰命すというも信心獲得すというも宿善にあらずということなし。
(御文章)
弥陀に帰命すというのは信心獲得と同じ意味です。
信心獲得は宿善によって決まるということです。
ですから、このようにも教えられています。
無宿善の機に至りては力及ばず。(御文章)
宿善がない人は、どうにもならないということです。
助からないということです。
では宿善とは何かというと、宿善の宿は宿世、過去世、ということです。
宿善の善は、善根、善い行いということです。
ですから宿善とは、過去の善のことです。
道綽禅師の『安楽集』では、三恒値仏の因縁といわれています。
宿善がなければ、本当の仏教にはあえないのです。
親鸞聖人は、こういわれています。
三恒河沙の諸仏の 出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり
真の幸せになりたいという大きな菩提心を起こしたけれども、
自力の仏教で助からなかった、ということです。
御文章4帖目15通には蓮如上人はこういわれています。
あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり、
まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし。
信心獲得は、宿善まかせということです。
宿善は聞法心となってあらわれますから、どのくらい仏教が聞きたいかによって決まるのです。
その聞法心に導かれて、仏教を聞き開き、絶対の幸福に救われるのです。