仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

真宗の繁昌とは

一宗の繁昌と申すは、人の多く集まり威の大なる事にてはなく候、 一人なりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。 然れば、「専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」と遊ばされおかれ候。 (御一代記聞書122) 繁昌というのは、普通、 講演会で、チケット即日完…

後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば

仏教ではどんな一大事があると教えられているか? 後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし。(帖外御文) ながき世まで地獄におつる一大事がある、どの…

煩悩具足

難思の弘誓は難度海を度する大船 (親鸞 聖人『教行信証』) 「難度海」が分からないと、 「難度海を度する大船」も分からない。 難度海とは、苦しみの波が次々とやってくる人生のこと。 なぜ難度海になってしまうか。 煩悩具足の凡夫が火宅無常の世界に住ん…

善知識・同行には親しみ近づけ

親鸞 聖人がこう仰有っている。 「悪をこのまんには、慎んで遠ざかれ、近づくべからず」とこそ説かれて候え。「善知識・同行には親しみ近づけ」とこそ説きおかれて候え」 末灯鈔のお言葉。 末灯鈔は親鸞聖人のお手紙のようなもの。 親鸞聖人の御法語、ならび…

御文章3帖目11通「毎年不闕」9通「鸞聖人御命日」

報恩講について蓮如上人が書かれているところは多い。 御文章3帖目11通。「毎年不闕」 そもそも今月二十八日は、開山聖人御正忌として、毎年不闕に、かの知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡、そのほかいかなる卑劣のともがらまでも、その御恩をし…

マラソンは人生の縮図

日本人は、マラソン好き。正月早々から、群馬県では、実業団駅伝、箱根の山では、箱根駅伝(大学対抗) どうして、マラソンという競技がたくさんの人に受けるのか、その理由は? よく 「マラソンとは人生の縮図である」とマラソンは人生にたとえられる。 マ…

浄土真宗ではなぜ瞬時に救われるのか

なぜ阿弥陀如来 は一念の瞬間で救うという本願を建立されたか。 如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。 もし多念をもって本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、 いかでか本願に乗ずべきや。 されば真宗の肝要、一念往生 をもって淵源とす。…

本願成就文が依憑

かの心行を獲得せんこと、念仏往生 の願成就の『信心歓喜乃至一念』等の文をもって依憑とす、このほか未だ聞かず。(改邪鈔) 覚如上人の御言葉覚如上人ってどんなお方でしたっけ? 親鸞 聖人の教えを正しく伝えられた方。 親鸞聖人の曾孫さんに当たる方。 …

定めて後悔のみにて候わんずるぞ

御文章1帖目6通 「この分にては、往生つかまつり候うとも、いまは子細なく候うべきに」 蓮如上人は、このような覚悟でしておられますので、 往生 しても悔いはない、本望であるが、 「それにつけても、面々の心中はことのほか、油断どもにてこそは候へ」 …

笑う者も続けて転ぶ雪の道

「笑う者も続けて転ぶ雪の道」という歌がある。 冬の寒い雪の道で、つるんつるんに凍っている道を歩くときには、 もうちょっと注意して、歩かないといけない。 なのに、ある場所に行くとすてんと転んでいる。 なんというざまだと笑っている。 笑っている者も…

現在世で正定聚不退転になれる現生不退

真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。 念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。 (『教行信証信巻』) ここに書かれてあることは実に驚くべきことなんですね。…

「唯信独達」とはどんなことか

親鸞 聖人の教えは唯信独達で仏教界を震撼させている。震撼とは、激しいショックを受けてびっくり仰天するたまげる動揺するつまり仏教界を動揺させているのが親鸞聖人の教えということ。 唯信独達とは、信ずる一つで51段を高飛びできるということ。 悟った…

一人居て喜ぶ信

蓮如上人の御一代記聞書154 同行の前にては喜ぶなり。これ名聞なり。信の上は一人居て喜ぶ法なり。 「信の上は一人居て喜ぶ法なり」とは? 「名聞」とは名誉欲 誰かと比較相対して喜ぶ。 逆にいうと誰かと比べなければ喜べない。 「朝日新聞・各国の首脳…

報恩講に信を取れ

私たちにとって最大の善知識。 お釈迦様は当然として、 親鸞 聖人のご恩、大変なものがある。 決して忘れてはならないもの。 蓮如上人は、親鸞聖人のご恩、いたるところで教えておられます。 親鸞聖人の恩に報いる集まり、報恩講。 御命日、11月28日。 その…

知恩・感恩・報恩

仏教では恩を非常に重視する。 「知恩、感恩、報恩」 「知恩」恩を知る。 自分が今までどんな方から恩を受けてきたか、それを知る。 大学に入ると、ついついオレは自分で勉強して、ここまで来たんだ、と思いがち。 決してそうではない。下宿に暮らし始めると…

わが妻子ほど不便なることなし

蓮如上人 御一代記聞書65「わが妻子ほど不便なることなし、それを勧化せぬは浅ましき事なり」 まず結婚しろということではない。 家族につたえなさい、ということ。 一番身近な家族、その家族を無視しているのはおかしいこと。 家族や友達から仏法を聞いた…

二河白道のたとえ

善導大師の二河白道のたとえで、 弥陀の呼び声は すべて水火の難にだすることをおそれざれ、 と聞こえた。 水火の難というのは、 水とは欲の心火とは怒り。 順境のときは欲の心が吹き上がって聞けなくなる、 調子がいいときはついつい欲にひきづられる。 逆…

善知識に対する気持ち

まったく仏教を説く人がいない。 寺はたくさんあって、袈裟かけた坊主はいるが 仏教を説く人がいない。 真実を説ききる人がいない。 お釈迦さまは般舟三昧経に「善知識おられたら千里二千里はおろか海山こえてもはせさんじよ、 仏の如くうやまえ、身肉手足を…

善知識にあうことの難しさ

宿善開発まで求めることが大事。 いかに宿善があっても聞かせて下さる善知識にあえなかったら聞くことはできない。 おあいできてこそ聞法のご縁がいただけるので 五重の義の2番目は善知識。 善導大師の二河白道のたとえがあるが、東岸、此岸、幸せもとめて…

宿善の薄い人と厚い人

「宿善うすいなあ、助からないのではないか?」こう思って助からなかったら大変と、必死に求める人は宿善の厚い人。 「宿善うすいなあ。やめちゃおう」となる人は本当に宿善薄い人。 あるとき仏法聞くのやめたいというひとがきたとき 「仏法聞くのやめたら死…

無常観

無常も同じ。本当は無常なんてこれっぽっちもおもえない。 自分が死ぬなんて死ぬまで絶対おもえない。 自分を死なないとおもっているということは白いチョークを赤いチョークと思っているほどのこと 白いチョークを赤いチョークと思っているということは よ…

仕事やめて聞け

「仕事やめて聞け」と蓮如上人はおっしゃっている。 御一代記聞書(155)仏法には世間のヒマをかきてきくべし、世間のひまをあけてほうを聞くべきようにおもえり 仕事を一生懸命やってひまがあったら仏法聞こうというのはあさましいとおっしゃている。反…

強そうで弱いものが歯

ここで親鸞聖人は「たまたま行信をえばとおく宿縁をよろこべ」とおっしゃっている。 行信というのは他力の信心です。この信心をえたならばとおく宿縁をよろこばずにはおれない。永い流転を振り返って、どれほど長い間、親鸞は阿弥陀如来からはぐくまれ照育さ…