宿善開発まで求めることが大事。
いかに宿善があっても聞かせて下さる善知識
にあえなかったら聞くことはできない。
おあいできてこそ聞法のご縁がいただけるので
五重の義の2番目は善知識。
善導大師の二河白道のたとえがあるが、
東岸、此岸、幸せもとめて旅人がたった一人尊い方にであった。
この尊い方、釈尊であり、善知識。
此岸は無人空迥の沢。
人がいない。
なぜいないのか、六十億人もいるじゃない?
本当の幸せを教えてくれる人がいない、
人生の目的を教えてくれる人がいない、
なぜ人の命が尊いのか、根本的なことを教えてくれる人がいない。
数学、語学の先生はいっぱいいます。
書道、絵、科学者、文学者、大学教授、
専門的な知識を持っているひとはいっぱいいるが、
生きる目的ってなんですか?
これを教えてくれる人がいない。
不思議だね、六十億もいるのに、生きる目的?ときかれると沈黙。
数学の問題とける人?
いっぱいいる。
変でしょう?みんなそれぞれ色々な知識を身につけるだろうが、
一番大事なこと、たったひとつの問いに答える人がいない。
だから善導大師は人がいないとおっしゃっている。
無人の荒野を旅していた。
善導大師が初めてあった尊い方、
お釈迦様が初めて生きる目的を教えてくれた。
善知識におあいできた感激を二河白道で教えて下さっている。