絶対の幸福になるには、どうすればいいかというと、
5つのものをそろえなければならないと蓮如上人は御文章に教えられています。
これを五重の義といいます。
この五重の義成就せずは、往生は叶うべからずと見えたり。(御文章)
とあります。では、その5つのものとは何かというと、こう教えられています。
これによりて五重の義を立てたり。
一には宿善、
二には善知識、
三には光明、
四には信心、
五には名号(御文章)
その一番最初にあげられているのが、宿善です。
これがなければ、善知識にも会えないし、全部そろいません。
土台のようなものです。
宿善がなければ助からないと、蓮如上人もいわれています。
無宿善の機にいたりては力及ばず。(御文章)
いづれの経釈に依るとも既に宿善に限れりとみえたり。(御文章)
宿善に限れりです。
善導大師も、過去に宿善なければ聞けないといわれています。
蓮如上人の御遺言にもこうあります。
あわれあわれ存命のうちに皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり、
まことに宿善まかせとはいいながら述懐の心しばらくも止むことなし。
(御文章)
蓮如上人は御遺言にまで信心決定は宿善まかせといわれています。
まかせというのは、最も大事ということ、これ一つということです。
バスに乗ったら運転手まかせです。
バスの運転手と喧嘩して事故にあいます。
では宿善とはどんなものかというと、宿善は聞法心となってあらわれます。
そして宿善があると言っても、厚薄があります。
宿善が厚い人は、聞法心が強い人です。
宿善が薄い人は、聞法心が弱い人です。
聞法心が強い人は真剣に聞きますし、聞法心が弱い人は、真剣には聞きません。
宿善の厚い人は枯れ松葉、宿善の薄い人は青松葉にたとえられます。
枯れ松葉は火を近づければすぐに火がつきます。
すぐに救われるということで、頓機といいます。
それに対して青松葉はなかなか火がつきません。
漸機といいます。
しかし続けて火を近づけていると、だんだん水分がとんで、やがて火がつきます。
ではどちらが多いかというと、漸機です。
親鸞聖人は法然上人にあわれて絶対の幸福になるまで100日くらいだったそうです。
恵信尼に覚信尼が出されている。
新潟から京都に出された手紙が、本願寺で大正時代に見つかった。
宿善が薄かったら、今生頑張るしかないのです。