メメント・モリが大事だとたけしが言っています。
たけしは、『新しい道徳』という本で、メメント・モリは道徳の土台だと言っています。
メメント・モリというのは、死を忘れるなということです。
なぜそんなことが格言になっているのかというと、みんな自分が死ぬことを忘れてしまっているからです。
だれも自覚をしていません。
死ぬとしても遠い先のことで、今日、明日死ぬとは思っていません。
明日になっても変わりません。だから1年経っても変わりません。
100歳になっても次に死ぬとは思えません。
以前、双子の金さん銀さんが、101歳の誕生日の時に、全国の人からプレゼントがありました。
インタビューで「お小遣いももらわれたそうですね。
お小遣いをどうされるんですか」
といわれると、
「半分は、寄付します。後、半分は、老後にとっておきます」
といったそうです。
いつまで経っても死なないと思っています。
みんな死を忘れて明るく楽しくいきようよといいます。
ところが仏教では生死一如といわれて、死を忘れることを生を忘れることです。
試験が近づいてきたら勉強をしますが、半年も先に試験があれば、今日は遊ぼうと思います。
死を考えていない人は、試験が近づいているのを自覚できていない人です。
フランスの哲学者、パスカルは、後一週間の命となってもやらねばならないことを、
一生涯かけてもやらねばならないと言っています。
一週間の命となって、仕事、選挙、勉強をする人はありません。
財産を作ろうとも思いません。
仕事をしよとも思いません。
ということは、これらは目的でないということです。
死を忘れている人は、真面目に人生を考えません。
すべては無常だと思っているが、わかっていないのです。
死を見つめ、解決することが重要なのです。
*1:ここに脚注を書きます