仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

歎異抄第7章の天神地祇は鬼神?

歎異抄第7章には、無碍の一道へ出ると、無碍の一道へ出た人に、天神地祇が敬伏すると教えられている。
ここで敬伏する天神地祇は、鬼神ではない。

天神地祇とは天の神地の神だが、仏教でいわれる神とはなにかというと、仏典で説かれている神。
梵天とか帝釈天とか。
梵天については、以下の記事をみると、非常に詳しく出ている。

true-buddhism.comこれらは六道輪廻中の迷いの世界の人たち、天神地祇の地祇も堅牢地神龍王、炎王など。

天神とか地祇で、お釈迦さまが経典で明らかにされているところの神、
善鬼神、悪鬼神というのがある。
そういう存在として説かれている。

諸神、それらの神は、何を目的としているかと言うと信心決定した人を護る神。
仏法求める人を護る神。
例えば帝釈天は仏教求める人にメンタルテストする、今までいろいろあった。
仏教聴聞をとるか、一回休んでこれをとるか、はらを立ててた人が帝釈天に変わる。
そういう仏教で教えるような帝釈天

帝釈天については以下の記事に一番詳しく出ている。

true-buddhism.com

その神にも垂迹の神と業報の神がある。
垂迹の神とは、本が仏で、神になって現れたもの。
業報の神は、己の行い報いによって現れた神。

このように2つある。
これは何れも因果の理法にかなったもので仏教に外れたものでない。
私たちに禍福を与えるなら鬼神だが、そうでない。
私たちを幸せにする力はまったくない、迷いの人たちだから。
天神地祇も敬服すると言うのはそれらの諸神が敬って敬服すということ。
尊敬せずにおれなくなると言うこと。

これらが天神地祇だが、一方、鬼神というのは、死んだ動物や人間を神に祭り上げているもの。
日本神道のようなもの。

例えば鳥居の絵がブロック塀に書かれている所がある。
何のために有るか分かる?
鳥居をブロック塀に書くと「立小便禁止」とどれだけ書いても聞かんのがこれかいたらぴたっと止まる。
笑い話のようなものだが、それだけみんな神を信じている。
この信条こそが迷信を徹底的に破らなければならない理由。
仏法者は無碍の一道へ出て、そういう神々に頭下げさせる身になる。
阿弥陀仏以外の一切の権威は認めない。
まして鬼神は存在しない。

人は死ねばそれまでの行いによって、因果の道理に従って次の世界に生まれるから、人間界にはいられない。
だからたたりは恐れる心配ない、人間の運命は因果応報。

無碍の一道へ出ると、仏教で説かれる神に頭下げさせる身になる、本来鬼神はいない。
天神地祇はもともとは諸神。