絶対の幸福になると、
生きているときに、限りない幸せがえられます。
それを10種類にまとめて
「現生十種の益」と教えられています。
1つめは「冥衆護持の益」です。
冥衆とは菩薩、諸神のことです。
護持とはまもるということです。
南無阿弥陀仏をとなうれば
梵王帝釈帰敬す
諸天善神 ことごとく
よるひるつねにまもるなり(親鸞 聖人・浄土和讃)
南無阿弥陀仏をとなうれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ
よろずの悪鬼をちかづけず(親鸞聖人・浄土和讃)
南無阿弥陀仏をとなうれば
堅牢地祇は尊敬す
かげとかたちとのごとくにて
よるひるつねにまもるなり(親鸞聖人・浄土和讃)
南無阿弥陀仏をとなうれば
難陀跋難大龍等
無量の龍神尊敬し
よるひるつねにまもるなり(親鸞聖人・浄土和讃)
今までのは諸神 。
次は菩薩です。
南無阿弥陀仏をとなうれば
観音勢至はもろともに
恒沙塵数の菩薩と
かげのごとくに身にそえり(親鸞聖人・浄土和讃)
歎異抄七章にも書かれています。
念仏者は無碍の一道なり。
そのいわれ如何とならば、信心の行者には
天神・地祇も敬伏し、
魔界外道も障碍することなし、
罪悪も業報を感ずることあたわず、
諸善も及ぶことなき故に無碍の一道なり、と云々。(歎異抄 第七章)
敬伏とは、敬って心から頭を下げるということです。
イヤイヤではありません。
よく料亭旅館に行くと、帰るときに仲居さんとかが頭を下げます。
これは私たちを尊敬して頭を下げるのではありません。
お金に頭を下げているです。
そうではなく、天地の神が、心から敬って頭をさげます。