浄土真宗の西本願寺は
死んだらお助けと教えますから、
浄土宗と同じことをいっています。
なぜなら、体失不体失往生の諍論で、
浄土宗の善慧房証空が体失往生を主張したのに対し、
親鸞 聖人は、不体失往生を明らかにされました。
不体失往生とは、生きているときに絶対の幸福に「生かされて往く」、
絶対の幸福になった人は、
体失往生、死んだら極楽に「往って生まれる」のです。
となると、浄土宗の善慧房の体失往生もあながち間違ってはいなかった。
しかし、法然上人は明らかに親鸞聖人に軍配を上げられた。
親鸞聖人が喜ばれたのは、生きているときに不体失往生の身になられたからなのです。
「不体失往生 」の身になることこそが人類の生きている目的です。
政治も経済も科学 も医学もすべてはこの身になるためにあるんです。
それが説かれているのが浄土真宗です。