どんなたよりにしているものも
最後は必ず崩れてしまいます。
それをおっしゃった
蓮如上人のお言葉があります。
まことに死せんときは予てたのみおきつる妻子も財宝も
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば
唯一人こそ行きなんずれ。
( 御文章)
死んでいくときには、生きているときに信じているものすべて、
全部をおいて死後の世界へ旅立って行かねばならないということです。
一つ失っただけでも大変苦しいものです。
生涯コーラ飲んだら駄目とかね。
ギターが二度と持てないとかね。
他の人から見たら別にいいじゃんと思うようなことでも、
信心が崩れたら苦しいんですね。
ところが死んでいくときというのは
そんなもんではないんです。
すべてに裏切られて行くわけです。
そうなったら、もうコーラなんてどうでもいいから、
とにかく生きたいとなるでしょう。
バカでもいい、変態でもいいから生きていたいと、
こんな心になるでしょうね。
しかし、たった一人で死んで行かねばならないということで、
何の明かりもなく、何の支えもない、
何一つ信じられるものがないということです。
信じたくても信じられないんです。
生きているときにどれだけ幸せだと思っていた人でも、
苦しんでいかねばならないということです。
それじゃやだからということで、宗教が出て来るんです。