浄土真宗では、間違ったグループがたくさんあります。
親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人と異なる信心を異安心といいます。
信心は心の問題ですので、その人の心がどうかは分かりません。
分かるのは、その人が説く教えです。
ですから、浄土真宗の教えを相当学んでいないと迷います。
親鸞聖人や蓮如上人と信心が異なるかどうかは、親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人のお言葉で根拠をあげて論じないといけません。
教えを学ぶのは、教学といって、信心には完成がありますが、教学には救われても卒業はありません。
教えが分からないと体験談などでだまされますが、近づかなければ必要はありません。
親鸞聖人や蓮如上人は、信仰にまつわる個人的な体験談はまったく言われていません。
親鸞聖人は『教行信証』の
「建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」
だけです。
聖徳太子のことなどは、比叡山の記録にあるもので、ご自分で言われている所はありません。
体験を問題にすること自体が親鸞聖人と異なる異安心です。
体験談には気をつけなければなりません。
たいてい土蔵秘事などといわれる、儀式を重んじるグループです。
かといって、教義の解説だけに終わってもよくありません。