浄土真宗の葬式でよく読まれる白骨の章に
「我や先、人や先」
と書かれています。
これは、死ぬのは私が先で、他人が後だということです。
普通私達は、逆で
「人や先、我や先」
と思っています。
死ぬのは他人だと思っているのです。
それならまだいい方で、
「人や先、人や先」と思っているのです。
自分が計算に入っていません。
しかし現実は、いつまでも人の葬式の手伝いを
していられるのではありません。
いつか自分の葬式の手伝いをしてもらうときが来るのです。
それが私たちの運命です。
しかもそれは遠い先のことではありません。
ブッダは
「出息入息不待命終」
と教えられました。
出る息は入る息を待たず命終わる、ということです。
吸った息が吐けなかったら後生です。
吐いた息が吸えなかったら後生です。
後生と聞くと10年も20年も50年も遠い未来のように思いますが、
生と死とは触れ合っているのです。
今日死んだ人は、昨日が今生であり、今日が後生 です。
一分前が今生であり、一分後が後生です。
吸う息、吐く息に生と死が触れ合っているのです。
その解決が教えられているのが浄土真宗です。