ドイツの有名な哲学者、マルクスとほぼ同時代に、
不安の根元を人間の魂に求め、精神の変革によって、その不安を乗り越えようとする
一人の哲学者がありました。
それがセーレン・キルケゴールという人です。
デンマークに生まれた彼は、生涯、世間に背を向けて、
ただひたすら自己を探求していきます。
近代合理主義が行き詰まった今日、キルケゴールの思想は、
私たちにとても多くのことを示してくれます。
そしてそれは、キリスト教の限界と仏教の真実性を
力強く訴えかけてくるんですね。
人間とは何か、人生どう生きるか。
人生をよく見つめている人がぶち当たりやすい、この問いに対して
深刻に取り組んだのがキルケゴールです。
そんな彼のモットーは
「たとえ全世界を征服し、獲得したとしても、
自己自身を見失ったならば、何の役があろうか」
というもの。
自分とはどんなものか、ということを重視していたことがよく分かります。
実存主義の創始者とされるキルケゴールの哲学とはどんなものか。
それは、後のニーチェやハイデッガーにも多くの影響を与えています。
キルケゴールが22歳の時、次のような手記を残しています。
「私に欠けているのは、私は何をなすべきか、ということについて
私自身に決心がつかないでいることなのだ。
私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生き、
そして死にたいと思うような真理を発見することが必要なのだ」
キルケゴールが求めたのは、まさしく究極の生きる意味なんですね。
キルケゴールは、人間の真の生き方に到達する道を、3段階に分けて示しています。
これを実存の三段階と言われます。
その1つ目は「審美的段階」
これは、欲望のおもむくままに、次々に快楽を追いかけ、満たしていく段階です。
2つ目は「倫理的段階」
「このままではダメだ」と現実の自己を否定して、強い意志をもって、道徳的善を実行する段階。
3つ目は「宗教的段階」
これは、真の宗教による救済以外にはないというもの。
真実の宗教は理性の溶炉を濾過したものだと。
理屈に合わない宗教は、科学の進歩の前には消え去る運命にある。
その信仰は盲信や邪信、狂信にならざるを得ません。
けれども宗教は、科学や哲学ではないんですね。
だから、ただ単に三世十方を貫く真理を教えるだけでは、
その存在意義はなくなっていまいます。
この絶対無二の大真理に基づいて、全人類の生きる目的である、
無上の絶対の幸福に導き、救うものでなければ宗教とは言われないんですね。
有名なアインシュタインは、こんなことを言っています。
「宗教のない科学は不具であり、科学のない宗教は盲目である」
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、
それは仏教です」
科学的にも宗教は必要なもので、宗教でも仏教がいいと、
仏教の教えを褒め称えています。