仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

後生

仏教をせっかく聞いているのに原点である後生の一大事が抜けていると?

仏教は後生の一大事を知るところから始まり、後生の一大事の解決に終わります。 仏教を聞いていても、すべての原点である後生の一大事が抜けていると、今辛くて苦しいとなって、逃げ出したくなります。そんな状態だと、人間関係が辛くて仏教が聞けなくなりま…

臨終に知らされる後生の一大事

仏教は後生の一大事を知るところから始まり、後生の一大事の解決で終わります。後生の一大事とは、死んだらどうなるかの一大事のことです。 私たちは、100%必ず死んで行かなければなりません。誰も関係ない人のいない問題が後生の一大事です。 ところが…

ブッダの説かれたことは一つだけ

ブッダの説かれたご説法は、後生の一大事しかありません。 わが身の一大事という事を思い出す為には、3つのポイントがあります。1つには、諸行無常で、自分は必ず死ななければならないということです。 2つには、自分が悪しか思えないということです。 3…

仏教で一大事とは

仏教で一大事というのは、一度おこってしまったなら、二度と取り返しのつかないことです。それを一大事といいます。世間でもよく一大事と言いますね。例えば、家事で家が丸焼けになってしまうと、それは一大事だと、みんな言います。 また、主人が交通事故に…

仏教で死後は霊魂もなければ無でもない

仏教は死後の世界を否定する「断見外道」でも、死後も変わらぬ霊魂が存在するという「常見外道」でもないことをブッダはお経に説かれています。 それは、阿含経の 「因果応報なるが故に来世なきに非らず、無我なるが故に常有に非らず」 というお言葉です。 …

東本願寺って何?

浄土真宗で東本願寺といわれている真宗大谷派は、なぜか死後の世界を認めません。浄土真宗なのに死後の浄土も説きません。親鸞聖人の救いは、この世だけと言っています。 実際、死んで行くときは死んだらどうなる が大問題になります。 いよいよ死が近づいて…

地獄の苦しみ

ブッダは必堕無間と教えられています。すべての人は、必ず無間地獄に堕ちるということです。 親鸞聖人はこの無間地獄について、八万劫中大苦悩ひまなく受くと教えられています。 一劫は4億3200万年。八万劫はその8万倍です。気の遠くなる苦しみをひまなく受…

死んだらどうなるかの問題の大きさ

後生の一大事というのは、死んだらどうなるかの一大事です。 私がいろいろな人の書物を読んでいるのは、日本は小さい国と言いながら、立派な方が沢山おられると思うのです。 後生の一大事を解決する、より近い道を教えておられる大徳があるならば、それを学…

死ぬのは誰?

浄土真宗の葬式でよく読まれる白骨の章に「我や先、人や先」と書かれています。 これは、死ぬのは私が先で、他人が後だということです。 普通私達は、逆で「人や先、我や先」と思っています。 死ぬのは他人だと思っているのです。 それならまだいい方で、「…

もし人間に生まれていなかったら

もし私たちが人間に生まれていなかったらどうなっていたでしょうか。 仏教では「六道」と教えられています。「六界」とも言います。 人間に生まれるずっと前から、6つの世界を生まれ変わり、死に変わりしてきました。 六道とは、地獄、餓鬼、畜生修羅 、人…

極楽に往けるかどうかいつわかる?

よく、臨終ににっこり笑って死んで行ったから今頃極楽だろうという人があります。逆に、苦しんで死んだから地獄だろうという人もあります。 ところが死に様と救われたかどうかは関係ありません。 覚如上人はこのように教えられています。 然れば平生の一念に…

極楽に往った人は必ず還ってくる

生きているときに絶対の幸福になった人は、死んで極楽に往くだけでなくて、この娑婆世界に還ってきます。 これを「還相廻向」といって、それを書かれたのが正信偈の「遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」です。 極楽に往生した人が、八功徳水の温泉に入って、百…

仏教を聞く暇はない

子を育てる暇はありませんが、大事と思えばこそ、子を育てながら仕事ができます。 後生の一大事の心さえあれば、生活のままが求道になります。精進こそ肝要です。 後生の一大事の一大事の心さえあればです!! 後生の一大事とは、死んだらどうなるのことです…

東条英機が13階段を登ったときの様子

東条英機の辞世の句 日も月も蛍の光さながらに行く手に弥陀の光輝く 日って太陽です。月はお月さん。太陽や月が蛍の光だと。蛍って見たことある?ちっちゃいよね。よく田んぼにチラチラいるね。田舎に行くと今でもあるでしょうけど。 今でもあるでしょうか。…

デカルトの臨終

デカルトは、神が中心だった当時に、我思う故に我ありと、人間を中心に考え始めた。 近代哲学の父といわれる。 では、そのデカルトさんは、死んで行くときどうだったか。 デカルトさんは、物心二元論と言って心と肉体は別だ、分離するんだ。『さあ私の魂よ、…

別れ路のさのみなげくな法の友

別れ路のさのみなげくな法の友また遇う国のありと思えば 法然上人のお歌 別れ路、いよいよ親鸞とも別れが来たか。親鸞聖人は越後、法然上人は土佐。おそらく今生最後の別れとなるだろう。しかし、さのみ、これはそんなに。そんなに嘆き悲しむな。法の友、法…

自分の死は臨終になるまで分からない

今までは他人のことだと思ったに俺が死ぬとはこいつたまらぬ これはある有名な医者が歌った歌ですが、医者は人の死をみとる、人の死ばかりみているんですけど、人の死を観ているときと自分の死を迎えるときとは全く違う。 天地雲泥の差がある。檻の中の虎を…