親鸞聖人が9歳で出家されたとき、
このような歌を詠まれました。
明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
親鸞聖人が出家された目的は、
名誉の為でもなければ地位の為でもありません。
今死ぬと思うと出てくる不安な心、暗い心を明るくなりたい
ということです。
それには、明日ありと思う心が仇となります。
実際に父母ともまだまだ一緒にやっていけると思っていたが、
とんでもない間違いでありました。
今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。
人の命は、桜の花よりも儚いものと聞いています。
明日生きておれる保証などありません。
親鸞聖人の無常観がビンビンと伝わってきます。
親鸞聖人が20年間比叡山で御修行された目的も、
後生の一大事の解決、それ一つでした。
これは、もとはブッダがおっしゃったことです。
私たちも仏教を聞くときは、
そういう気持ちでなければならなことを
教えられているのです。