仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

仏教には本当の生きる意味一つが教えられている

なぜ「仏教を聞かなければならない」と言われるのでしょうか。

仏教を聞く目的は、本当の生きる目的を知り達成するためです。
仏教には私たちが生きていく上で一番大事なこと、知っていなければならないことを
教えられています。

知っていなければならないことというのは沢山ありますが、
何を知らずとも、これだけは知っていなければならないものが人生の目的です。

人生の目的とは、人は何のために生まれ、何のために生きているのか。
どんなに苦しくても自殺してはならないのはなぜか。

これを一言でいうと、「幸福になるため」です。
すべての人が求めているものは幸せですよね。
これに異論を唱える人はないと思います。

そのためには、何を手に入れればいいか。
どんなことをやれば満足できるのか。
こういうことを朝から晩まで考えています。
お金や恋人、家や車、海外旅行、社会的地位、健康、明るい家庭といったものです。

そういうものが手に入るまではどう思っているかというと、
自分が満足できないのは、これらのものが自分にはないからだ。
手に入れることができれば、少なくとも今よりは満足できる、
このように思っています。

受験勉強中の高校生は、大学に入学すれば、相当変わるはずだと期待しています。
これを乗り越えれば、楽しいキャンパスライフが待っていると。

受験勉強をしている時には、大学生の姿を見て、
「自分もあんなふうになれたらいいな」と思っていたけれど、
実際はどうかというと、しばらくすると、あまり変わっていない現実に気がついて
失望するんですね。

それで、「何か面白いことないかな〜」となる。

恋人がいない時には、いた方が絶対にいいと思っています。
そして恋人ができると、「やった。ついに私にも…」と嬉しくなります。

ところが、しばらくすると、相手との距離が問題になってきます。
遠過ぎると寂しいし、近づき過ぎても傷つけ合ってしまう。
そして心変わりが怖くなるということもあります。
なので、恋人がいた方がいいとは一概には言えません。

旅行であれば、行く前の準備している時が一番いいんですね。
あれをして、これをしてと計画を立てていると楽しいものです。
まだ始まっていないので、その日が来るのが待ち遠しい。

でも、旅行の最終日には、何とも言えない寂寥感が漂います
「ああ、もう終わりか……」と。
旅行前の楽しい感じとは、全く違うものになってしまっています。

これらのものは皆、手に入れる前はとても輝かしく見えるのですが、
自分のものになると、「な〜んだ」と失望するものが多いんですね。
幸せなのは、夢を追う過程で、達成すると色褪せてしまう。

「近寄れば さほどでもなき 富士の山」

日本一の富士山は相当立派だと思っていたけれど、
実際に近づいてみると、大きな岩がゴロゴロしていたりして、そんな感じがしない
ということを詠んだ歌です。

限りなき欲望を有限の命で求めている状態で、
最後は必ず絶望に終わります。
一時的には満足できても、最終的に苦しみに転じてしまうんですね。

幸せを求めて生きているはずなのに、
なぜ不安や不満などの
苦しみがなくならないのでしょうか。

それは、「幸せに2つあることを知らないから」です。
幸せと言っても、相対の幸福と絶対の幸福の2つあるんですね。

相対の幸福というのは、お金や恋人、家や車、海外旅行、社会的地位、
健康、明るい家庭
といったものです。
これらのものは幸せには違いありません。
生きていく時には必要なもので、なければならないものだけれど、
これが人生の目的と
はなりません。

なぜかというと、残念なことに、そういうものには欠点があるからです。
その欠点を3つ挙げると、

1つ目は、「キリがない」ということ、
2つ目は、「続かない」ということ、
そして3つ目は、「死によって総崩れになる」ということです。

1つ目の「キリがない」というのは、私たちの欲望にはキリがないので、
永遠に「これで満足」ということがないんですね。
ない時は、「これさえ手に入れれば」と思いますし、
あっても、もっと欲しいとなります。
有無同然と言われるように、あってもなくても苦しみはなくならないんですね。

この有無同然というのは、人生の目的と手段を峻別されたお言葉です。
相対の幸福は、人生の目的にはなり得ないということです。

2つ目の「続かない」というのは、仏教では諸行無常と教えられます。
すべてのものは続かない、ということです。

これは、いつでもどこでも変わらない真理です。
2600年前のインドでも、科学の進歩した21世紀の日本も変わりません。

3つ目の「死によって総崩れになる」というのは、
私たちは、死んでいく時には何一つ持って行くことができません。
なので、どんなに色々と手に入れても、死ぬ時には
すべて置いて別れていかなければならないということです。

このように、相対の幸福にはこういう欠点があるので、
人生の目的にはなり得ないということなんですね。

それで、人生が難度海となってしまいます。

人生の目的をハッキリと示されているのは仏教だけです。
これを知らないのは、人類最大の悲劇と言えます。

難度海に大きな船があることを教えられているのは仏教だけなので、
仏教を聞かなければ、絶対に人生の目的は分かりません。
学校の勉強をどれだけやっても、完成もなければ、
まして人生の目的は絶対に分かりません。

「人間に生まれてきてよかった」という生命の歓喜を教えられている
仏教を聞かなければ、人生の目的は分かりませんので、
本当の生きる意味を知りたければ、仏教を聞かなければならないということです。

その本当の生きる意味について解説されている記事はこちらです。

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