仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

現代の僧侶の問題点

ある親鸞 聖人のアニメ映画に、
僧侶の批判が描かれています。

僧侶はなんだ!!
何もせずに金だけ集めやがって!!
何にもしてないくせに!!

という感じです。

このアニメは大ヒット作なので、
これを求める僧侶がいて、
報恩講のときなどで門徒の人に見せると
門徒の人は笑うらしいです。

みんな実感していることろです。
見せんかったらよかった!!
僧侶後悔します。

別に酒飲むのが悪いのでないです。
の壁がはがれて金だすのが悪いことでないです。
何もしないことが問題なんです。
やることやってませんから。

で法が説かれているなら、
「本堂が雨漏りするので直すのにお金がかかります、集めます」
となったとき
「また出せと言うのか!!」
そんなこと言う人いません。
仏法が説かれていますから。

お金を集めるのが問題ではなく、
仏教を伝えないのが問題なのです。

僧侶の悩み

昔、香樹院という東本願寺で有名な僧侶が、
ある坊主が2000軒の門徒をかかえていました。

門徒は300件くらいあれば生計が立ちますから、
凄いぼろも儲けでした。
今もそうですが、坊主丸もうけです。
頭下げない人よくないですね、人間的に。
坊主とか。

これに対して香樹院は7軒でした。

坊主「香樹院さん何軒の門徒をもってますか?」。
香樹院「7軒です」。
坊主「大変ですね(金が儲からんという意味)。」
香樹院「あ〜大変です!!あなたは?」
坊主「2000軒です(自慢げに)」
香樹院「それは大変ですね!!!」
坊主「えっ!!何が・・」
香樹院「7軒の人にどうしたら仏教の教えをお伝えするかをいつも悩んでいる。
どうしたらお伝えできるか大変だ!!」
坊主「(赤面)・・・!!」

友人や家族を仏教講座に誘っても文句を言う、
愚痴をいう、仏教の話をしても寝てしまう。

その時に「どうしたら分かって貰えるか!」。
そのことで、夜も眠れないことありました。
もどかしいです。
「切ない!!」とはこのことです。

しかしそのように相手に心をかける経験から、
私自身変わりました。

この人に「分かってほしい」とかいう気持ち、
悩んだ経験はいまでも忘れません。

香樹院のような悩みをもちましょう。

浜崎あゆみに見る生きる目的

浜崎あゆみ
TOBE」
誰もが通り過ぎてく気にも止めない
そんなガラクタを大切そうに抱えていた。

「ガラクタ」とは不要品。
いてもいなくても同じということ。
自分が存在する意味がない、だからつまらない。

 

それは、「生きる意味、そして生きる目的がわからない。
だからつまらない、物足りない、居場所が無い、自分はガラクタだ」
ということを訴えている。
生きる意味、目的がはっきりしているならガラクタにならない。
そこに向かって充実して生きることができるのだから。

 

苦しいので先送り

若者のキーワードに
「先送り」
があります。

何か嫌な事があった時に、その場ですぐ解決するには、
何か交渉が必要、
苦しい痛みを伴う場合に先送りしません?
「まー一応」
「とりあえず」

なぜ勉強しなければならないのか、わからなくても、
みんなやってるし、
一応無難にこなして先送りしていきます。

 

では、先で解決されるかって言うと、
ツケが未来に残されます。
そしてあきらめています。

浜崎あゆみ
自分の小・中・高の心の中に映った事を
ストレートに表現します。

それがシンクロする所があってメガヒットしています。

出会いと別れ、幸せと不安

横軸に時間t
縦軸に愛情の満たされた度合いIを
とります。

そして最初に出会い、
やがて別れるとします。

最初はさびしい。

誰かに出会って、愛欲が満たされていくと心が盛り上がっていきます。

遠くから憧れている時が1番いいですが、
近付けば欠点が見えてきます。


そうしてしばらく楽しい時を過ごした人と別れます。
落ちていく谷の底は余計に寂しくなります。

そんなにさびしい気持ちを味わうくらいなら、
誰ともつきあわない。

実際に支えになるものが無ければ無いでさびしい。
あればあったでいつ崩れるかわからない。

有無同然です。


崩れる前は不安
崩れた後は余計深い谷に突っ込みます。

これでは金輪際幸せとは無縁です。

 

不安がなくなる

海水浴で水着を着て、
沖の方にいってボートかなんかこいでいる時、
不安な心になります。


海は暗くて底が見えません。
妙に頼りない、そんな気持ちになります。
プールなら底が見えるからそんなふうには思わないけど。

真っ暗で何か得体の知れないものがそこにいて
引きずり込まれるんじゃないかと思います。

平成3年にはおじいちゃんが、
平成15年にはおばあちゃんが、
引きずり込まれていきました。

こんな不安なところで、
自分もいつ引きずり込まれるかわかりません。

この暗い心が、ここで本当の生きる目的を果たすと、
死んだ後が明るい心に生まれ変わります、

そういわれている親鸞 聖人の愚禿鈔のお言葉があります。

「信受本願
 前念命終
 即得往生
 後念即生」

「信受本願」とは、本願まことと受け取った、ということです。
「前念」は一念、その一念で命終ということは、命が終わります。
「命が終わる」ということは、死ぬということです。
「死ぬ」ということは金輪際でてこないということです。

欲望怒り愚痴はなくそうとしても次から次へと出てきますが、
暗い心は出そうとしても二度と出てきません。

即得往生 は後念即生のことです。
後念も一念、文章にすると前後ができます。
一念で生まれる、
往生一定の身に一念で生まれる、
ということです。

そうなったら暗い心は思ってみようとしてもでてきません、
黒い心ならいくらでも出てくるんだけど。

そこまで求めぬきましょう、
それが本当の生きる意味ですから。

 

欲望が邪魔されると怒る

欲望が邪魔された時に起きてくるのが怒りの心です。
怒りは無謀に始まり後悔に終わるといわれます。
殺人事件なんかの多くは怒りから始まります。

会社で失敗してやけ酒飲んでるときに
ホステスなんかがバカにすると
「お前なんかに言われたくない」
そばにアイスピックでもあったらさしてしまいます。

自分が正しい相手が間違っているというときに腹が立ちます。
たまに朝早起きすると寝てる人に腹が立ちます。

夫婦喧嘩なんかでも、
私はどうしてご飯作ったりしてるのにあなたは、とか、
お前は誰のおかげで食べていけると思っているんだとか。

正しいという思いが二人ともあるからけんかになります。
自分が正義だと思っているけどふたを開けてみると
誰かによって欲が邪魔された時に腹が立つ。

人を叱る時には一対一で叱らないといけない。
人前で叱ってはいけない。
正論でも心を閉ざして聞けません。
清水の次郎長が言っています。

怒りのない人なんか絶対ない、
怒りのない人は欲望のない人です。
欲望の塊だから怒りの塊です。