仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

NHKモーガン・フリーマン『時空を超えて』バイクで死ぬ確率は車の37倍

モーガン・フリーマンというアメリカの有名な俳優がいます。

そのモーガン・フリーマンがNHKでやっていた『時空を超えて』という番組があります。

「この世界は“現実”なのか?」というテーマで、

人間の脳は物語の語り手です。
世の中がどういう状態にあるかを認識して先行きを私たちに想像させます。
しかしもしその物語が間違っていたらどうでしょう?
私たちの脳が現実世界や現実における自分の位置づけについてをつくようにできているとしたら?

と言っています。脳が物語を作り出すつきだとしたら、私たちは、その物語にしたがって生きることになります。

そして、そんなの物語にしたがって生きていたら、必ず後悔します。

このようなことをやっていました。

 

この男性はこれからバイクでロンドンの街を走ろうとしています。
ある意味「偽りの現実の世界」へと入ろうとしているところです。
イギリスの交通量に占めるバイクの割合は1%以下ですがバイク事故による死者や重傷者の数は交通事故全体の14%に上ります。
アメリカではバイクを運転する人が事故で亡くなる確率は車のドライバーの37倍と言われています。

しかしこの男性はこうした数字は自分には関係ないと思っています。
ぞっとするような統計結果を知りながら他の大勢のバイク好きと同じように彼はバイクに乗り続けます。
なぜこれほど多くの人間がかたくなに危険を無視するのでしょうか?

 

バイクで死ぬ確率は37倍なのに、自分だけは死なないと考えています。
しかし、事故に遭ってバイクに乗らなければよかったと後悔するのです。

自分は後悔しないと、簡単にいう人がいます。
しかし後悔しないと思っている人が後悔しなかったら、後悔する人はいない。
計画的に後悔する人はいないので、後悔しないと思っている人が後悔するのです。

人生でも同じです。自分のやりたいことをやっていれば、後悔しないと思っていますが、そういう人が後悔するのです。

一体何をすれば後悔のない人生になるのか、満足な人生になるのか知るには、本当の生きる意味を知る必要があるのです。

 

本光房了顕の恩徳讃

親鸞聖人の恩徳讃には、身を粉にしても、骨を砕いても恩返しせずにおれないという報恩の気持ちが歌われています。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし(恩徳讃)

ご恩返しが大きいということは頂いた幸せが大きいということです。
命を捨ててご恩返しせずにおれないということは、命を頂く以上の幸せを頂いたということです。永遠の喜びの生命を頂いたから、身を粉にしても返さずにおれないのです。

そしてそれは 後生の一大事が分からないと分かりません。
本来なら、自分の造ったたねまきによって、因果応報で後生に大変な一大事があるところを永遠の幸せに救われたのです。

本光房了顕もそうでした。
命をかけて親鸞聖人直筆の教行信証を護った人です。

中には本より人の命が大事だろうという人いる。

しかしそれは、教行信証に何が書かれているのか知らないのです。

教行信証には、すべての人が 後生の一大事を解決して、未来永遠の幸せになる道が教えられています。

本光房了顕は、命をかけて、そのすべての人が救われる道を護ったのです。
蓮如上人の責任という人もいる。
しかし了顕は、恩徳讃の身になっていましたので、師主知識の恩は身を粉にしても報ぜずにおれないと、喜んでやったのです。

死んでも極楽
私たちはどっちにしろ、100%確実に死にます。
早いか遅いかの問題です。
ただ死ぬか、やがては滅びる肉体で、すべての人が救われること、喜ばれることするかです。
根底にあるのは後生の一大事です。

 

浄土真宗の年間最大行事の報恩講とは?

浄土真宗では、年に1回報恩講という行事があります。
浄土真宗で一番大きなご縁です。

報恩講とは、恩に報いる集まりということです。

誰からの恩かというと、報恩講の恩は、親鸞聖人のご恩。

どんなご恩かというと生き方ではなく、本当の生きる意味を教えてくだされたご恩。
3代目の覚如上人がされ、8代目の蓮如上人が盛大にされた。
いつかというと、親鸞聖人のご命日の11月28日です。

現在では旧暦、新暦などがあって、東本願寺は、東は11月、西本願寺は1月につとめています。
蓮如上人の時代、11月28日を最終日として、7日間されていたようです。

御文章5帖目11通に御正忌という御文があります。
忌=命日ということで、御正忌とは御命日のことです。

 抑、この御正忌のうちに参詣をいたし、志を運び、報恩謝徳をなさんと思いて、聖人の御前に参らん人の中に於て、信心を獲得せしめたる人もあるべし、また不信心の輩もあるべし。以ての外の大事なり。

」というのは、米、野菜などのお布施です。

聖人の御前」というのは、本願寺親鸞聖人の木像があります。
本願寺には御影堂と阿弥陀堂とがああります。

御本尊は阿弥陀如来ですが、阿弥陀如来の御安置された阿弥陀堂より、親鸞聖人の木像のある御影堂の方が大きい建物です。
西と東で、右左を変えています。
西は領解文、東は改悔文といいます。
お勤めの節も違います。

 その故は信心を決定せずは、今度の報土の往生不定なり。されば不信の人も速に決定の心を取るべし。人間は不定の境なり、極楽は常住の国なり。されば不定の人間に在らんよりも、常住の極楽を願うべきものなり。

極楽行き間違いない身になるべきであると教えられています。

これは信心獲得せよといわれているのです。

何が善で何が悪?

私たちに何がかわかりません。

アメリカで車の運転がい町がありました。

交通事故で毎年30,40人、亡くなる町です。
荒っぽい運転で自分の子供をひかれて殺された親が復讐劇をします。

無茶苦茶な運転をします。
そういうのが3人起きました。
最近、その3人が狙撃されて殺されました。
すると、みんな安全運転をするようになりました。
事故が減って、毎年0人になりました。

殺したのは3人で、年間30人の人を助けています。
ところが殺した人は有罪になりました。

すると、また事故が増えました。

人間の法律では有罪になります。
ヒーローとも思います。
人間が決めると が変わります。
核の使い方もそうです。

そういう でなく、本当のを教えられたのが仏教です。

最初は、分かるように財産やお金で苦しんでいます。
これがあれば、なければなどと言われています。

しかしながらお金やもので幸せになろうとしても破綻します。
そこで次に心が問題ですよ。
次に煩悩と導かれた。

煩悩を作って苦しんでいると教えられています。
煩悩で苦しんでいる。

怒ってとんでもないことをしたとか。
煩悩が少なくなればなあと思います。
これなければ廃できるのになあ。

そして、次に、煩悩 は苦悩の根元ではなく、苦悩の根元を断ち切れば、煩悩あるがままで煩悩即菩提になれると教えられています。

お盆をご縁に、仏教 を聞きましょう。

生きる目的の大切さ

そろそろお盆ですが、いかがお過ごしでしょう。
あなたは生きる意味がどれ位大切なものかご存じでしょうか?

生きるということは、生きて行くとも言われます。

それは私たちはどんどん生きて行くからです。

昨日から今日、今日から明日へと生きています。

禅宗僧侶一休は、
「世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく」
と歌いました。

私たちは、小学校、中学校、高校と生きていきます。

ですから人生は、ちょうど、マラソン選手が走るようなものだと言われます。

人生は、短距離走というより、マラソンです。
それはどんどん私たちは生きて行くからです。
ラソンでいえば走って行くということです。

では、マラソンする時に一番大事なのはなんでしょうか。

ゴールですね。

ゴールがないマラソンというのは、地平線しか見えないところを走っているようなものです。

最後は、どうなるかというと、走り倒れあるだけです。
だからゴールがあります。
ゴールはあってもなくてもいいものではなくて、なければならないのです。

ここにゴールがある、そうなれば、そのゴールに向かって走ろうとなります。


では、私たちの生きる目的は何でしょうか。

目的なしに生きたら、最後、死ぬだけです。
これでは悲劇です。

昔、XBOXというゲーム機のCMがありました。
病院でお母さんが子供を産んで、空を飛んで行く。

その間に小学中学、そして最後、墓場にドーンと。
これでは悲劇です。

そんなCMみて、学校に行こうと言う気にはならないということで放送禁止になりました。

目的なしに生きるのは虚しいだけです。生きる意味がなくなります。

では、本当の生きる目的を果たしてこそ、生きる意味があります。

その本当の生きる目的が明らかにされているのが仏教なのです。

 

宗教学者・山折哲雄が死について語るなら

宗教学者の山折哲雄が『わたしが死について語るなら』という本をポプラ社から出しています。宗教学者が死について語ると、どうなるのでしょうか?

山折哲雄は、死を教育機関で教えることが非常に大切だと考えています。

「私は「死」について、「無常」について教えることを教育の根本に組み入れてほしいと、政府の委員会などで何度も提案してきました」
と言っています。
政府に提案するほど、重視しています。

ところが山折哲雄は、かなり有名な学者であるにもかかわらず、それでもいつも失敗しました。このように言っています。

しかし必ず、反対意見が出るのです。
心理学とか社会学、精神医学とかさまざまな分野の専門家がおいでになるのですが、その多くは、「死の教育」についてはきわめて消極的でした。「生きる力」とともに「死」を引き受ける態度から文化を教えることにあまり賛成してはもらえませんでした。

その理由を山折哲雄は、こう分析しています。

戦後六十年をこえる「生きる力」一辺倒の教育、社会体制がそのような考え方をひろめてしまったのだと思うしかありません。
「人はやがて死ぬ」と「人はかならず死ぬ」の間には深い人生上の問題が横たわっているはずですが、そのことにかかわろうとしなかったのです。

人はやがて死ぬのだと知った上で、人生を考えることがとても大事だと思います。
山折哲雄は、そういう教育が大切だと言っています。
宗教学者なので、宗教に詳しいです。

そういう困難な問題を長い時間をかけて考えつづけ、突き詰めて考えてきたのが、哲学であり、宗教の歴史だったと思うのです。

これを学ばないといけないと言っているのです。

特にこの「無常」とか、死の問題の解決を教えられているのが仏教です。

この観点からいえば、仏教こそまず学ばなければならない宗教でしょう。

スカイ・クロラと同じように老衰で死なない人間

アニメ映画にもなった小説に『スカイ・クロラ』というのがあります。

未来の世界で、何もかも自動化されて楽しみがありすぎる金持ちが、レジャーを求めて、戦闘機で闘いをして相手を撃ちのめします。

遺伝子の関係で、年を取らずに老衰で死なない子供ができてしまいました。これをキルドレといいます。
キルドレはある程度成長すると老化が止まります。未成年のまま死ねない状態に入ります。

実際にそういう人は、世界にごくわずかな例がありました。ブルック・グリーンバーグさんです。
四姉妹のお姉さんで、1歳くらいで成長が止まります。
老衰では死なないようです。
しかし、よく子供がかかる病気にかかって死んでしまいました。

ギャビー・ウイリアムズさんという人もそうで、現在生存中です。

キルドレの場合は、事故でなければ死にません。
そのため死ねるのは、自殺や戦闘によって戦死した場合です。

そうでないと、永遠に同じことを繰り返す苦しみを感じます。
それで気が変になってきます。
仏教では、これは流転輪廻といいます。
同じことを繰り返す苦しみを感じます。

私たちも、毎日が同じことの繰り返しの虚しい気持ちが起きてきます。

私たちも永遠に幸せになれず、努力して生き続けなければならないとしたらどうでしょう。

しかも私たちの場合は、努力が報われずに最後死んで行くのです。
こんな悲劇はありません。

では何をすれば本当に満足できるのか、本当の生きる意味が、仏教に教えられているのです。