仏教研究室

仏教を研究しています。

苦しみを離れた世界とは

無明の闇
明かりとは、生き甲斐、希望、夢、心のささえ、あて力にしているもの。
心の周りに明かりを灯している。
ところが、死に直面すると、一切の明かりが消え、真っ暗になる。
一歩後生と踏み出すと、ハッキリしない。
暗い。
日頃は忘れている。
秀吉は、辞世に、夢の又夢
ゲーテは、暗い暗い、もっと光を
臨終になれば、誰でも無明の心が分かるが、
平生はまだまだ死なないと思っているので、なかなか分からない。

 

現在はどのように感じるか。
淋しい、空しい。
歓楽尽きて哀情多し、と言われる。
祭りの後の空しさ。
コンパや学園祭の後にぽっかりと穴があいた心。

有無同然の譬えで、鎖とは、何か。
無明の闇。

心が暗いから、何を得ても、本当に心の底から満足できない。
熱病の時には、山海の珍味も美味しく頂けない。
熱病が癒えると、おにぎりでも美味しい。
山海の珍味なら尚更素晴らしい。
熱病------無明の闇
食事------お金や物

 

どうすれば、無明の闇が晴れるか。
聴聞に極まる。
真剣な聞法。

破闇満願
煩悩はどうなるか。
煩悩即菩提
渋柿の渋がそのまま甘みかな。

罪障功徳の体となる
氷と水の如くにて、
氷多きに水多し
障り多きに徳多し

泳げる人と泳げない人
太郎君と花子さん。
見れば見るほど頼もしそうな、添うて苦労がしてみたい。

絶対の幸福
西田幾多郎はこれを、絶対矛盾的自己同一と表現している。
色々な哲学者が驚嘆している。
聞き求めてゆこう。

仏教を聞くのは難しい

真の知識から人生の目的を聞かせて頂く、
そういう先生にお会いするというのは、
これは親鸞聖人は法然上人であったわけですが
昿劫多生のあいだにも
 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずば
 このたびむなしくすぎなまし
           (高僧和讃

と言われている。

 

私達は仏法にあわせて頂いたわけで、
それを値遇仏法の門といいまして、
苦悩の根元が破れて信楽となる一念があるぞと教えて頂いている。

 

それでみなさん生まれがたい人間に生れてよかったですね、
聞き難い仏法を聞かせていただけてよかったですね、
あとは聞き抜くだけですよ、
今聞き抜かなかったらそんなチャンスは未来永劫そんなチャンスはないですよ。
私達の魂は迷いつづけてきたわけだけれど、
迷いのうちどめをするのはもうすぐそこだからそこまで聞き抜け
ということ。

それは人間に生まれなければできなかった、
仏法をきかせて頂かなければできなかったと

人身受け難し、今已に受く。
 仏法聞き難し、今已に聞く。
 この身今生に向って度せずんば、さらに
 いずれの生に向ってか、この身を度せん。

そういう一念があると言われているので頑張りましょう。

仏教の教えを知りたい場合はこちら

 

餓鬼界

餓鬼界
これは体中が骨と皮でガリガリにやせほそって、
食糧難でいる、今もアフリカとかにもある。
そういうような人達は満足な教育も受けられず、
声を発することもできない。

餓鬼界の衆生は、飲むもの食べるものを口に運ぶと
青白い炎となって食べることができない。

 

 

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生きる意味を教えられたお釈迦さまのお言葉

人身受け難し、今すでに受く。
仏法聞き難し、今すでに聞く。
この身今生において度せずんば
更にいずれの生に向かってかこの身を度せん。

これはなんというお経に書かれてあるか。
華厳経

華厳経といいますと、
お釈迦さまの説かれたお経の中でも
大変難解なことが説かれている。

また華厳経の説法とは弾苛の説法ともいわれ、
聞く心を造らせるためにお釈迦さまが説かれた。

その華厳経というお経の中にお釈迦さまが教えられたのが、
このお言葉です。

 

人間に生まれてよかった

という喜びの身になることが、

本当の生きる意味だということです。

阿弥陀仏の本願に方便がある?

「願海につきて真あり仮あり」

阿弥陀仏の本願に真実と方便の願があるという
ことを断言なされた親鸞聖人のお言葉です。

これはすぐ後の
「真仮を知らざるによりて如来広大の恩徳を迷失す」
と対応しています。

「真」とは真実、「仮」とは方便。

18願が真実の世界です。
そこへ導く為に19願20願の方便手段の願があるのです。
ですから真は目的、仮は手段です。

方便とは、私たちを真実に近づけ
真実を体得させるに絶対必要なものをいいます。
これが方便です。

ちなみに方便はサンスクリット語で「ウパーヤ」といいます。
「近づける」という意味です。
真実は「サッターヤ」ですね。

高いビルディングを建てる。
最初から建てるわけにもいかないので、まずは足場をつくる。
そして機材を運んでビルを建てる。
ビルが完成したならば、足場は崩す。
足場というのは、しばらくの間は用いるんだけども、
ビルが完成したならば取り壊す「暫用撤廃」という言葉もあります。

最後壊すのなら最初からいらんだろう、と思いますが、
建てる時にはどうしても必要。
これが方便なのです。

方便とは、真実の世界に送り込む為に必要なものですので、とても大切なものです。
真実と方便を比べたら、方便のほうが劣るように思う人あると思います。
しかし真実が大切ならば方便も同じくらい大切。
方便が大したことないと思っているのはそれだけ真実が分かってないんです。

親鸞聖人の教えの大変重要なところ

親鸞聖人の教えの中で大変重要なところであります。

親鸞聖人の教えといいましても、
「さらに親鸞珍しき法をも弘めず
如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」
ということで仏教以外にありません。

その仏教というのは、
如来所以興出世 唯説弥陀本願海」
ですので、親鸞聖人が教えられたことは
阿弥陀仏の本願以外にありません。

「聖人一流の章」の最初の部分を見ましょう。

聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候

「聖人一流の御勧化」とは阿弥陀仏の本願ということ、
「趣」とはもっとも大事な点、ですので、
阿弥陀仏の本願でもっとも大事な点は信心一つで助けるということです、
ということになります。

何がいいたいかと言いますと、
親鸞聖人の教えというのは、
阿弥陀仏の本願ということです。

 

心の闇をなくす力

難思の弘誓は難度海を度する大船
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり

これは教行信証の冒頭の言葉。
まず、「難思の弘誓
私たちはお金がないから苦しんでいるのでもなければ、
仕事をクビになって苦しんでいるのでもない。

苦しみの根源は無明の闇
無明の闇は暗い心。
何に暗い心かというと物理に暗い心とかではない。
後生くらい心。
死んだあとはどうなるのかハッキリしない心。
死んだ後があるのかもわからなければ、ないというのもわからない。
ハッキリしない心。
私たちの100パーセント確実な未来がわからない心が無明の闇。

その無明の闇を破ることができるといわれている。
その無明の闇を晴らす働きを難思の弘誓という。
結核を治す真理は昔からあった。
しかし、その真理が発見されず、また、それを体現した薬というものもなかった。
無明の闇を破る真理は私たちの想像を超えているから難思といわれる。

「難度海を度する大船」

難度海とは私たちの苦しみの人生。
度するというのはわたすということ。
私たちの苦しみ悩みの人生を渡す船のようなものが難思の弘誓ということ。
船にのればこの難度海の波は変わらないがその波が煩悩促菩提と喜びに
転ずる世界にでることができる。

「無碍の光明」とは難思の弘誓と同じ。
無碍の光明は私たちの苦悩の根源である無明の闇を晴らしてくださる
慧日、智慧の太陽のようなものである。

 

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