仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

ブッダは清濁あわせ飲むおおらかな方?

ブッダは清濁あわせ飲むおおらかな方だったのでしょうか?

ブッダは、涅槃経に

一切の外学九十五種は、みな悪道に趣く。

と説かれています。

「一切の外学九十五種」とは、仏教以外の全宗教です。
「悪道」とは、苦しみの世界です。

仏教以外のすべての宗教は、真理に反する教えだから、
すべて苦しみの世界に行くと
ブッダは教えられています。

ブッダの説かれた仏教をそのまま教えられた親鸞聖人は、
このことを御和讃に
九十五種世をけがす
唯仏一道きよくます
菩提に出到してのみぞ
火宅の利益は自然なる (正像末和讃

と教えられています。

九十五種とは外道のことです。仏教以外のあらゆる宗教です。
世を汚すとは、苦しめる、不幸にするということです。
外道を信じていても助かりませんよ。

唯仏一道とは、唯一つ仏の道が真実ですよ。
外道に対して内道という言葉がありますが、それは仏教のことです。
唯一仏教が真実ですよ。

これを蓮如上人は

あさましき外道の法なり。
これを信ずる者は、永く無間地獄に沈むべき業にあさましき外道の法なり。
これを信ずる者は、永く無間地獄に沈むべき業にて徒事なり。(御文章二帖)

・外道を信じていては、幸せになれませんよ、どころでなく、
無間地獄に落ちますよとまでいわれている。
薄い氷を踏んで歩くような人生、氷が割れる前に、真実を聞かねば、
ということで、お釈迦さま、親鸞聖人、蓮如上人が教えられています。

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現代人には宗教や信心などいらないの?

信心というのは、心で何かを信じることです。
信じるということは、心あてにしたり、の支えにしたりすることです。

私たちは何かをあてにして支えにして生きています。
それは宗教だけではありません。

いつの時代もどこの人も何かを信じています。

そして信じていたものに裏切られたときに苦しみます。

日本人だからそうなるということではありません
アメリカ人だから関係はないというものではありません。
人種に関係ありません。

そして、諸行無常です。

お釈迦さまの時代、善導大師の時代、親鸞聖人の時代、
科学が進歩した現代も変わらない真理です。

だから本当の幸せになれません。

諸行無常のまま幸せになれる道は、
仏教にのみ教えられています。

 

正信偈とは?

親鸞聖人の正信偈には、
まさに親鸞聖人が教えて下されている仏法の真髄を明らかにされています。
仏教の真髄を聞かせていただくことが大切です。

仏教講座に足を運んで直接聞かせていただくことが大切です。

正信とはどういうことでしょうか。
正しい信心ということです。
7文字×120行840字で書かれています。

「偈」はうたのことです。
正信偈」は、「正しい信心」をうたの形で表されたものです。
ですからお経には節がついていないが、正信偈には節がついています。

親鸞聖人が一字一涙で、一文字書いたら涙を流されて書かれました。
どうしたら分かってもらえるかと、涙を流されて書かれ、
正しい信心とはどういうものかを教えて下されています。

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浄土真宗の他の教団にない親鸞会の特徴

まず、仏教では、慈悲という言葉がよく遣われます。
慈悲とは何でしょうか?

慈悲とは抜苦与楽のことで、
苦しみを抜き取って楽しみを与えてやりたい心です。
これは私たちにはない心だから、こういう字を書きます。
この心、心に非ず。

私たちにはない心です。
幸せを与えてやりたいというまことの心は私たちの心ではないのです。
仏智を体得して、頂く阿弥陀仏の心です。
仏様の心。

信心決定するまではそういう心あるよと自惚れていますが
信心決定の一念でそういう心微塵もないのが己と知らされます。
こんな悪の塊が全ての人に平等に救われて貰いたいという気持ちになります。

願以此功徳
平等施一切
同発菩提心
往生安楽国

これは中国の善導大師のお言葉です。
信心決定いたしますとこういう気持ちになります。
願わくは、この功徳をもって、
平等に一切に施し、
同じく菩提心をおこして、
安楽国に往生せん。

全ての人々に信心決定して貰いたい。
蓮如上人の御遺言
「あわれあわれ存命の中に皆々信心決定あれかし」
と同じ御心です。

この南無阿弥陀仏、あなたも受け取ることができますから、
すべての人に平等にこの喜びを伝えずにおれない。
この功徳を分け隔てなく平等に一切の人々に施す。
一切の人々にこの喜びをお伝えせずにおれない。

この菩提心は他力の信心。
信心決定のことを同発菩提心という。

安楽国とは、極楽浄土 です。
信心決定すればいつ死んでも安楽国に往生できますから、
この善導と同じく信心決定して貰いたい。
極楽浄土に往って、阿弥陀仏と同じ仏になることができるから、
この世も未来も救われて貰いたいという気持ちが出てきます。

では、今の世において誰が真実の仏法を教え、
伝えている僧侶があるでしょうか?
そんな人々があるでしょうか?
ほとんどありません。

ところが一つだけあります。
浄土真宗親鸞会です。
現代社会において、真実の仏教を伝えている唯一の団体でしょう。

今の世に誰かすすめん弥陀の慈悲
親鸞会のひとりかがやく

弥陀の慈悲とは真実の仏法です。
なぜか浄土真宗であろう浄土真宗本願寺派でも真宗大谷派でも教えられていません。
やっているのは葬式や法事ばかりです。
浄土真宗の教えを聞けるのは親鸞会だけです。

本当の僧侶のなすべきつとめは、葬式ではなく、弥陀の慈悲を伝えることです。
平等に一切にお届けせずにいられませんという御心が込められています。

浄土真宗における親鸞会の特徴

浄土真宗親鸞聖人のお言葉に、無明長夜の灯炬というお言葉があります。

無明長夜とは私達の迷いです。
全人類は心の闇に覆われています。
私たちの迷いの歴史は果てしない過去から、
始めのない始めから六道輪廻してきました。
それを長夜にたとえて、
その心の闇を破ることのできるのは阿弥陀仏の本願しかない。

それで親鸞聖人は無明長夜の灯炬とおっしゃっています。
根拠は親鸞聖人の御和讃にあります。
阿弥陀仏の本願こそが無明長夜を破る灯炬
灯炬とは、ともしびです。
明かり。
心の闇を破る知恵の働きを灯炬という。
暗闇を破る働きです。
お仏壇を見ると灯火、必ずろうそくの火があります。
あれは阿弥陀如来の知恵の働きです。

 現在、阿弥陀仏の本願を正しくお伝えしている集まりは親鸞会だけです。
浄土真宗本願寺派大谷派はじめ真宗十派は正しく伝えていません。
真実の仏教を明らかにしているのは親鸞会しかありません。

もし他に仏教を正しく説く集まりがあれば親鸞会は解散してもいい。
ちっちゃいこと。
正しく教えが明らかになればそれでいい。
それが誰も明らかにしないから、会を作った方が
正しく正確に多くの人にお伝えできるから会ができたのです。

世間の会なら名誉や利益だが親鸞会はそうではありません。
ただ全人類に後生の一大事のあることとその解決の最も近道を明らかにすることが
親鸞会の目的です。

世間の集まりは名利のためですから、世間の集まりとは異質です。
ですから、このようにいわれます。
親鸞会 無明長夜の灯炬なり
破邪顕正の利剣かざして

 親鸞会だけが無明長夜の灯炬、真実の仏法を明らかにしているから。
破邪顕正していかなければならない。
破邪顕正の最大の相手は己です。
信心決定していない人はよこしなま心があるから、それを破らなければなりません。
破っていただいて、ここを進まなければなりません。
破邪しなければならない最大の相手は己です。
自他共に。
人に話をするままが、己に真実を徹底することになるから、
これを自利利他といいます。
相手も喜ばれ、己も幸せになれます。
破邪顕正していかなければなりません。
利剣かざして。
これは善導大師がおっしゃっています。
南無阿弥陀仏のことを利剣といいます。
よく切れる刀。
阿弥陀仏が造られた名号はよく切れる刀。
剣は刀です。
利剣によって心の闇が破られますから。
利剣をかざして進みます。
そして信心決定に向かいます。
己の邪を破ることになります。
自分の心の闇を破る、真実を徹底していくことにつながります。
親鸞聖人の教えを徹底すれば全ての問題は解決できます。

人生には色々な問題があります。
求道の悩み心配事一人一人が持っています。
それ全部親鸞聖人の教えが徹底すれば解決できます。
どんな問題も、それは親鸞聖人の教えが徹底していないからです。
教えが徹底すれば乗り越えて進むことができるから親鸞聖人の教えを徹底しなさい。
寝ても覚めても忘れてはならないのが、教えを徹底することです。
全部解消できますから。
それを忘れずに進ませて頂きましょう。

仏教講座に行くと?

仏教講座に仏教を聞きに行くとどうなるのでしょうか。

こういう歌があります。

知るとのみ思いながらに何よりも
知られぬものは己なりけり

私達は自分のことは自分が一番良く知っていると思いがちですが、
最も分からないのが自分自身です。

知るとのみ、自分のことは己が一番よく知っていると自惚れています。
実は最も分からないのが己自身です。
分かっていると思っているが一番分からないのが自分です。
一番何よりも不可解なものが己です。

藤村操が人生不可解なりと言って死んでいきました。
己が分からないからです。
だから人生の目的が分からないのです。
仏教は実に自分自身を知ることです。
仏教は別名、自覚教といいます。

自覚教の自覚とは、自らをさとると書きますように、自らを知る教えです。
私たちは己自身が行方不明になっていますから、
己自身を知る法鏡が仏教です。

目は外ばかり向いて自分のことは仲々分かりませんから、
仏教聞かなければ己の正しいすがたを知ることはできません。

仏教講座に足を運んで仏教を聞いて行きますと、
本当の自分のすがたが知らされて来ます。

正しい己の姿を知らなければ、本当の幸せにもなれまから、
お釈迦さまは、私たちの本当のすがたを教えられているのです。

浄土真宗で知らされた2つのこと

あら不思議心も六字身も六字
浮世の空にかかる雲なし

これは信心決定した喜びの歌です。
あなたも信心決定するとこういう心がハッキリ分かります。
信心決定すると世界観、人生観がガラッと大変わりする。
親鸞聖人ならああ……といわれています。

絶対助からない私が助かったのですから、心も言葉も絶え果てた世界です。
不思議な世界。
六字とは南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏には大宇宙の善根が収まっていますから、
絶対の悪の私と絶対の善が一つになる。

煩悩具足のままが光明の広海に転じる。
明るい楽しい人生に生まれ変わる。
日本晴れの晴れて大満足の世界。
何の不安も心配もない。
後生ハッキリしますから。

二つのことをあなたに知ってもらいたい、
まず知らされたのは全世界の人は、浄土真宗でなければ、
絶対に救われないということです。
同時に知らされた現実は何かというと、
その浄土真宗の教えが正しく伝わっていないということです。
浄土真宗の危機は全人類の危機です。
正しく伝えられていないと言うことは大変な危機であると知らされて
親鸞聖人の教えを正しく伝えなければならないと立ち上がらずにおれません。
それがあなたも信心決定されると分かると思います。
それが平生達者な只今体験させていただけます。